善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

井上ひさし追悼公演 黙阿彌オペラ

早朝の善福寺公園は、雲が低くたれこめ、薄暗い感じ。

きのう(7月29日)は井上ひさし追悼公演「黙阿彌オペラ」(演出 栗山民也)を観る。
もっとも好きな作家の1人だった。今年4月9日に亡くなり、早4カ月近くがたった。

生前、「木の上の軍隊」を途中まで書き、とうとう書けなくなってこの「黙阿彌オペラ」(1995年初演)の再上演を指名し、亡くなったのだという。
会場の紀伊国屋サザンシアター(新宿)には、すでにできあがっていた「木の上の軍隊」のポスターが貼られていたが、同じ紀伊国屋サザンシアターで2010年7月18日→8月22日とある。「黙阿彌オペラ」の日程とおんなじだ。ああ、もっと生きていてくれれば!

ときは嘉永6年(1853)の師走から明治14年(1881)初冬まで。すなわち河竹新七38歳から、「黙阿彌」と阿彌号をつけて引退を決意する66歳までの28年間。場所は、全場を通して両国橋西詰めへ300歩、柳橋へ200歩ほどの蕎麦屋「仁八そば」の店内。
ちなみに河竹黙阿彌は実在の人物で、名調子で有名な「三人吉三」「白波五人男」などの作者。
上演時間3時間半の長丁場。

歌舞伎狂言作者の新七(吉田鋼太郎)は、しがないざる売りの五郎蔵(藤原竜也)と互いに大川に身投げしようとしたところを、引き止め合う。その足で両国橋西詰にある蕎麦屋「仁八そば」の障子を叩いた二人は、家主のとら(熊谷真実)に身の上話を聞いてもらい、翌年同日に同じ場所で会おうと約束する。

一年たった約束の日、仁八そばに、おせんという少女が置き去りにされていた。とらはお店の切り盛りと、おせんの世話に追われ、忙しくしている。

売れない噺家の三遊亭円八(大鷹明良)が隙を見て食い逃げをしようとするが、ちょうどやってきた新七に止められる。新七は、五郎蔵を待つが、やってきたのは見知らぬヤサ男、久次(松田洋治)。
久次は、五郎蔵が無実の罪で石川島の寄場送りになり、自分は五郎蔵の弟分だったという。そこにやってきた怪しい貧乏浪人、及川孝之進(北村有起哉)は、久次が大川に身投げして同情を誘い、人から金をせしめていた、と暴きだす。久次は、騙したのは五郎蔵に罪を着せた者で、つまり仇討なのだ…と明かす。

全員の素性が明らかになったところで、とらは捨て子のおせんの「株仲間」結成を言い出す。みんなで少しずつ金を出し合い、その金で、全員の子どもとしておせんを育てようという提案であった・・・。

時代が明治に変わり、世の中が移りゆくなか、おせんは成長し、株仲間の面々もそれぞれ成功をつかんでゆく。しかし新七だけはその変化に違和感を感じ、ついていけない。そんな折、新七にオペラを書いてみないかという依頼が舞い込む。果たして新七はオペラを書くのか・・・

はじめはセリフが聞き取れず、アンサンブルもいまいちで、どうなるかと思ったが、ズンズンと引き込まれていく。あっという間の3時間半だった。吉田の演技はさすがだが、驚いたのは藤原のうまさ。だが、近くに寄ってくるとあまりに顔がかわいすぎる。やがてすべての役者が絶妙のアンサンブルを醸し出し、井上ひさしの世界に浸る。この快感。

井上ひさしのすばらしいセリフの数々。

捨て子のおせんが大きくなって、「おせん株仲間」のメンメンに明るい笑顔で語る。

「ここで初めて目を覚ました朝、おばあちゃんが『株仲間のお金で綿入れでも買ってあげようね』といって、古着屋さんに連れて行かれました。神田川の土手に沿ってずらりと並んだ古着の屋台見世、前の晩からの大雪で、お客はあたしたちだけ。そのうちの1軒で花模様の綿入れを買ってもらい、さっそく着込んでそのへんを走り回っていると、古着屋の男の子の弾んだ声が耳に飛び込んできたんです。『チャン、お米が買えるね』。古着屋のおじさんも明るい声で、『おうよ、3升ばかり買ってきな。帰りに漬物屋の屋台で沢庵の浅漬けを2本。こんな雪の日だ、客があればあすこもよろこぶ』・・・。

おじさん方のあったかい気持ちが綿入れに姿を変えて、あたしをあっためてくれている、でも、それだけじゃない、古着屋さんの子もおマンマが食べられるし、漬物屋さんもよろこぶ。そう、こうやっておじさん方の気持ちが世間をまわり出したんだ。・・・まぶしいほど明るい朝でした。

ずっとあとになって、こう気がついたんです。そうか、あの朝の光景を言葉にするとおばあちゃんがよくいう御恩送りになるんだわって。

お三味線にお唄にそば打ちに煮物、みんなおじさん方やおばあちゃんがあたしに仕込んでくださったもの。そのあたしが生まれて初めてなにかのお役に立つことになった。相手がたとえどこのお人であれ、これまで仕込んでいただいたことを一生懸命にやって、楽しんでもらうのがいい。そうすれば、おじさん方から受けた御恩が広い世間を回り出す・・」

明治維新のドサクサにまぎれて銀行家に成り上がった五郎蔵たちが、国家のため、文明開化のため、ひいてはオイラたちの銀行のため、歌舞伎の舞台でオペラをやれと迫るのに対し新七のセリフ。

「少なくとも見物衆のためではないですな。
そのオペラというものを、どんなことをしてでも観たいと願っている御見物衆はどこにいるんです?

年に1度の芝居見物のために、あとの364日、ダシジャコのふりかけでおまんまを食べて木戸銭を貯める方がいる。板の間にこぼれた酒をそっと手拭いで拭き取り、その手拭いを土瓶に入れて煎じ出して酒代を節約し木戸銭を貯める方もある。(そうだ!とこのブログの筆者)
上っ面を西洋風に取り繕った小刀細工のオペラが観たくて、そんな苦心をなさるのではない。

生きているからには心にさまざまな屈託が溜まる。その屈託の大きな塊を、いい話、おもしろい話、悲しい話で、笑いや涙といっしょに西の海にさらりと捨ててしまいたい、御見物衆のそういう思いで、芝居小屋はいつもはちきれそうです。そしてどなたも、いいセリフが聞きたいんだ、耳にこころよい言葉で心のアンマにかかりたいんです」

さらに新七は、明治政府をもやり玉にあげる。

「新政府のお歴々も、日本という大桟敷を、その大桟敷にいる御見物衆を拠り所にしていない・・・
御一新は大がかりな御家騒動。それもてんでなってない御家騒動。なにしろ大桟敷の御見物衆はおいてきぼりですから」

それは現代日本の政治に対する井上ひさしの最後の批判のように聞こえた。

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