善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きょうの「ゲゲゲ」と影絵・幻燈

きょうの「ゲゲゲの女房」、ちょいとホロリとさせられた。

『少年ランド』連載中の「悪魔くん」の実写版がテレビで放映された最初の日、茂(向井理)はかつて「悪魔くん」を激賞し、貸本屋向けの単行本として出版してくれた編集者の戌井(梶原善)に電話して礼を述べる。

単行本にしたとき「悪魔くん」は読者に不評で出版社の資金難もあり5巻の予定が3巻で終わってしまった。落ち込む茂に戌井は「あの漫画は傑作です。やがてきっと世に出る日がきます」と断言したのだった。

そしてテレビの初回放送の日、茂は放送が終わるとすぐに戌井に電話してこう述べる。
「あんたの編集者としての目に狂いはなかったですな。『これはスゴイ漫画だ。絶対に当たる』というあんたの言葉が本当になりましたよ」

編集者としての、漫画をみる目に狂いはなくても、自分が経営する出版社は倒産寸前で、奥さんが内職しながら支えている現状。それでも、自分が推奨した漫画家の成長と成功に喜び涙する戌井。それほど漫画を愛しているということなのだろう。
そして茂も、貧乏しながらも苦楽をともにした仲間を忘れない。

ところで、白黒のテレビの画面を見て、何だかとても懐かしかった。今のデジタルのテレビだと出演者のシワまでくっきりとみえてしまうが、昔の白黒はちょっとぼやけた感じで、一種幻想的ですらあった。

話は変わるが、昔よくみた影絵とか幻灯というのも、幻想の世界の産物のような気がする。
子どものころ、夏の夜に、暗い空間に浮かび上がる影絵や幻灯に心を奪われた記憶を思い出す。あるいは夏の野外映画会とか。
とくに影絵の白と黒のコントラストは、光がつくり出す幻想の世界。ほの暗い空間の中に身を置くことが、子ども心に新鮮だった。

昔、インドネシアのワヤン・クリを見たことがある。インドネシアのバリ島だったか、本場はジャワ島だから、その後、日本で見た公演だったか。こちらは劇場公演だった。本来、ワヤン・クリは野外で、明け方まで夜を徹して行われるものである。

以下は、ワヤン・クリ研究家・松本亮氏の受け売り。
「ジャワの影絵芝居は土地ではワヤン・クリWayang Kulitとよばれる。ワヤンは影、クリは皮革の意で、一般には水牛の皮に透かし彫りの細工を施された人形を白い幕に投影して物語を展開する舞台と解される。しかしワヤンは影の意にちがいないのだが、その影は土地の人びとによれば、たんに白い幕に投影されるかげをさすのではなく、この世を生きる人間のこころの喜びや悲しみのかげなのであり、その魂のありようを語るのが、ワヤンである」

舞台装置は白いスクリーンと裸電球だけ。うしろに控えた楽団が華やかなガムラン音楽を奏でる中、ダランと呼ばれる人形遣いが巧みに人形を操ると、大スペクタルが大画面に映し出される。
人形を遠ざけると大きくなり、近づけると小さくなって、変幻自在だった。

さすがのワヤン・クリには足元にも及ぶまいが、多少ともそれに近づけたら、とただいま準備中なのが「影絵版・黄金バット」。地元の小学校で毎年恒例のイベント(まいまいハウスプロジェクトという、段ボールで自分の家を造り、体育館で1泊しようというイベント)があり、それにわがミニFM放送局「ラジオぱちぱち」が協力していて、夜の「お楽しみ会」で上演できればと思っているのだが・・・。

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