善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

アンナ・カレーニナ

ひょんなことから読む必要に迫られてトルストイの『アンナ・カレーニナ』を読んでいる。

光文社から新訳が出ているが、私が読んでいるのは河出書房新社から出ている1972年発行のほうで、訳者は中村白葉。偶然にも、今年はトルストイ没後100年の記念すべき年。

アンナ・カレーニナ』は、美貌の人妻アンナの不倫から始まる転落の人生と、田舎暮らしの地主貴族レーヴィンとキティーとの地道な人生とを、同時進行で描く作品。何しろ大長編なので、主人公のアンナの登場までにエンエン70ページが費やされていて、やっとお出ましという感じ。

アンナと青年貴族ウロンスキィとの運命的な出会いのシーンで、トルストイの描くアンナの印象に読む方も体がとろけてくる。もしロシア語が読めたなら、ホンモノのトルストイの言葉で読めたのに、と、こんなときに日本語しか知らない自分を恨むのは、翻訳物を読む常なのかもしれない・・・。
でも、中村白葉訳もなかなかいい。以下、操車場での出会いのシーン。

ウロンスキィは車掌のあとから、その車輛のほうへ行った。そして、車室への入口で、ちょうど出て来た婦人に道をゆずるために、立ちどまった。
社交界の人に通有のこつで、この婦人の風姿をひと目見て、ウロンスキィは、彼女が上流社会に属する女(ひと)であることを見てとった。彼はえしゃくをして、車室へはいろうとしかけたが、もう一度彼女を見たいという、やみがたい欲求を感じた。──というのは、彼女が非常な美人であったからでもなく、彼女の全姿態に見られたはかなさと、つつましやかな美しさに心をひかれたためでもなく、ただ、彼女が彼のかたわらを通ったとき、その愛らしい顔の表情に、なつかしいものが認められたからであった。彼がふり返ったときに、彼女もまた頭をめぐらした。濃いまつ毛のせいで暗いほどに見えた彼女の輝かしい灰色の目は、あたかも彼を見知ってでもいるように、親しげに、注意ぶかく彼の顔にこらされたが、じきまた、だれかを捜してでもいるように、通りすがる群衆のほうへ移された。この短い瞥見で、ウロンスキィはいちはやく、彼女の顔面に遊びたわむれたり、その輝かしい双の目と、あるかなきかの微笑にゆがめられた赤いくちびるとのあいだを飛びまわったりしていたおさえつけられた生気を認めた。それは、何かの刺激が彼女の身うちにみちあふれて、それが彼女の意志に反して、あるいはその目の輝きに、あるいはその微笑のなかに、現れるもののようであった。彼女は心して目の輝きを消した。けれどもそれは、彼女の意志を裏切って、そのかすかな微笑のなかに、ちらちらと光を見せるのだった。