毎年恒例で今年で11回目とかで、5月11日から14日までの4日間のうち最終日の14日午後2時半からのに行く。もともと友人が行く予定のところ、昼間行けないのを勘違いして買っちゃったチケットを譲ってもらったもの。
広い会場は満席で、立ち見も出たとか。
髪の毛の薄くなったオジサマと女性で半々ぐらいか。若い人もチラホラ。さすがにウィークデーの午後だからサラリーマンは少ない感じ。
それでもジャニーズが1晩で3~4万人集めるのに比べれば8年もかかった、と笑わせていたが、同じ演目の独演会を8年も続けるなんて並大抵なことではないし、聴きに来るお客もよほどの熱心さだ。
ただし、「中村仲蔵」については本ブログの筆者にも特別の思い入れがある。
ちくま文庫から出ている「古典落語」の正蔵集を買ってきて、この本に所収の正蔵口演の「中村仲蔵」を、寝る前に年に3~4回は読んで、スヤスヤと眠る。それくらい好きだから、志の輔が「中村仲蔵」を気に入って毎年この噺をやっていると知って、欣喜雀躍したものだ。
血筋重視の江戸の歌舞伎の世界で、下積み出で、苦労の末に名題にまで出世した中村仲蔵。常識破りの出世が妬まれたか、振られた役は「仮名手本忠臣蔵」の「五段目」に登場する斧定九郎というダサイ役の一役だった。普通ならふてくされてしまうところを、工夫に工夫を重ねて今日の歌舞伎の手本となるような見事な役に仕上げ、名優として後世に名を残したというのが落語の「中村仲蔵」。
で、聴いてみてどうだったかというと、とてもおもしろかった。
何しろ本題(「中村仲蔵」)の前に、いきなり忠臣蔵の五段目の話が出てきてはわからないだろうからと、1時間にわたって仮名手本忠臣蔵の大序から最後の11段目までの全段を解説してくれ、その上で「中村仲蔵」に入るという大サービス付き。
ただ、正蔵の「中村仲蔵」はもっと端正でメリハリがきいて、特に山場の「五段目」の舞台でのところはまるで「五段目」がそこに再現されているようなドラマチックさがあったが、志の輔の「中村仲蔵」は話が丁寧すぎて冗長な感じがした。
落語がハネたのが5時すぎ。
生ビールのあとは赤ワイン。
料理の数々。
カタプラーナは最後はおじやに。
なかなかおいしゅうございました。