善福寺公園めぐり

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国立劇場文楽公演「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」

国立劇場文楽12月公演「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」を観る。
国立劇場開場50周年記念公演。

特にすばらしかったのは七段目・祇園一力茶屋の段でのお軽(簑助)と平右衛門(勘十郎)。先月の国立劇場での歌舞伎(お軽が雀右衛で平右衛門は又五郎)の七段目もよかったが、文楽の七段目は今年観た文楽公演のなかでも際立っていた。

世代交代が進んでいる太夫のほうはみんな切磋琢磨している感じ。
中でも期待したのは「九段目 山科閑居の段」の後を語るまでに成長した文字久太夫だったが、師匠(住太夫)の域に達するのはまだ相当先のこと。しかし、観客の前で語ることが修行なのだから、これからが楽しみだ。

それにしても、「仮名手本忠臣蔵」を通し公演として見ると、われわれが子どものころ見た片岡知恵蔵や大川橋蔵なんかが出る東映の「忠臣蔵」の映画とはまるで違う世界がそこに描かれていることがよく分かる。
映画の方は武士の目線からの忠君愛国の武勇伝だが、文楽・歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」は庶民目線による“庶民芸術”としての忠臣蔵なのだ。

映画にはお軽・勘平は出てこないし、山崎街道の定九郎、加古川本蔵も出てこない。
そもそも「正史」(史実というより巷間いわれている通説)とはまるで違うし、それによって忠君とはかくあるべきと教訓を垂れるものでもない、庶民を喜ばせるための自由な発想による恋愛・心理・人情ドラマが文楽・歌舞伎の忠臣蔵なのである。

だから文楽・歌舞伎の忠臣蔵では、そもそも殿中で刃傷に及ぼうとしたのは勅使接待役の相役をつとめた桃井若狭助(史実では伊達左京亮)であり、塩谷判官(浅野内匠頭)は関係ない。桃井が短慮なのに対して塩谷は思慮深く、塩谷が高師直吉良上野介)に刃傷に及んだのは、高師直が塩谷の奥さんに横恋慕したのが原因で、奥さんにフラれた高師直が塩谷をいじめていじめ抜き、ガマンしていた塩谷がついにブッちぎれて刃傷に及ぶ。それを松の廊下で「殿中でゴザル」と抱き止めたのが、お家のためと高師直に殿に内緒でワイロを贈った桃井若狭助の家来の加古川本蔵であり、しかも加古川の娘は塩谷判官の家老の大星由良助(大石内蔵助)のせがれの主税と許嫁の仲だった、という荒唐無稽の設定になっていて、史実にはない加古川本蔵と妻や娘の悲劇が重なり合って描かれていて、物語をよりドラマチックにしている。

その作劇法はシェイクスピアが「ヘンリー四世」に架空の人物である老騎士・フォールスタッフを登場させたのと似ている。そういえば「ヘンリー四世」が上演されたのは1600年ごろ、「仮名手本忠臣蔵」の上演はそれから150年後の1748年(寛延元年)だった。

見方によっては、人間の生き方とはナンゾや、という永遠のテーマを問うているのが「仮名手本忠臣蔵」なのかもしれない。単なる忠臣による復讐劇ではないのである。
芝居では3つの死が描かれている。
まず塩谷判官の死、次に早野勘平の死、そして加古川本蔵の死。
それぞれに意味合いが違っていて、塩谷の死の場面では、高師直加古川本蔵、桃井若狭之助、それに塩谷の感情の行き違いというか、感情のもつれが運命のいたずらとなり、殿中での刃傷となり切腹につながっている。
次に勘平の死では、もともと判官が刃傷事件を起こしたとき、お供のはずだった勘平はお軽との逢瀬に夢中になって侍をクビになってしまう。何とか名誉を回復したい、そのためには金がいる、というので焦っているうちに闇夜で瀕死の人間から金を奪い、舅殺しに間違われて、ついには自滅する。
加古川本蔵の死では、お家を守るため師直にワイロを贈ったことを恥じるとともに、師直に斬りかかった判官を抱き留めたことにも心を痛めていた本蔵。ついに彼は、主君への忠義よりも主税と夫婦になりたいという娘の想いをとげさせるため、自分の命を捨てる道を選ぶ。死の間際の本蔵のセリフ。
「忠義ならでは捨てぬ命、子ゆえに捨つる親心」
江戸時代によくこんなセリフがいえたものだと感心するが、そんな場面をみるにつけ、登場人物の人生に自分の人生を重ね合わせ、観客は涙するのである。

「仮名手本」というのも、庶民目線で物語をわかりやすくした意味がこめられているのではないか。
「仮名手本」というのは、江戸時代の寺子屋で使う文字の読み書きのお手本のことだという。「いろは四十七文字」と「赤穂藩浪人四十七人」が同じ数であるところから「仮名手本」となったといわれているが、「堅苦しくない、わかりやすいお話ですよ」という意味も込められているに違いない。

文楽・歌舞伎の忠臣蔵が庶民を楽しませるための芝居、庶民目線の芝居というのは次のエピソードからも明瞭だろう。
八段目の「道行旅路の嫁入」の中で、加古川本蔵の娘・小浪と本蔵の後妻・戸無瀬が小浪の許嫁・大星力弥の元への旅の途中、「シシキガンコウガカイレイニュウキュウ」という言葉が出てくる。何のこっちゃと昔の床本をひっくり返すと「紫色雁高我開令入給」と書いてある。
「紫色雁高」とは「紫色にいきり立ったアレ」の意味だそうで、嫁入りの娘に初夜の作法?を教えているんだとか。何というおおらかさ。

さらにもうひとつ、七段目祇園一力茶屋の段でのお軽のセリフが秀逸。
兄の寺岡平右衛門から、父親と勘平の死を知らされたお軽は悲しみに沈みながらこういう。
「もったいないがととさんは非業の死でもお年の上。勘平どのは三十になるやならずに死ぬのは、さぞ悲しかろ、口惜しかろ」
「親に孝」の時代にあって、何とドライで正直な告白だろうか。