善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

悪の華─霊験亀山鉾

国立劇場の十月歌舞伎公演「通し狂言 霊験亀山鉾」を観る。
鶴屋南北作。出演は仁左衛門雀右衛門錦之助、孝太郎、彌十郎又五郎歌六秀太郎ほか。
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「霊験亀山鉾」の初演は1822年(文政6)、南北68歳のときだったという。
元禄文化とはやや趣を異にする化政期(1804~30)と呼ばれている時代の作品。この時代は江戸幕府の終末を予兆するかのような文化の爛熟期で、もともと勧善懲悪から出発した歌舞伎だったがこのころになると「悪」にも美を見出すようになった。
悪の華」の代表的作品が「霊験亀山鉾」だ。
仇討ちものだが史実をもとにしていて、実際の事件はちょうど江戸城松の廊下の浅野内匠頭の刃傷事件と同じころ、1701年(元禄14)に起こっている。浅野の家来たちは1年あまりのちに仇討ちを果たしているが、亀山の仇討ちは艱難辛苦の果て28年もかかっている。

仁左衛門が藤田水右衛門、穏亡・八郎兵衛、いずれも悪役の2役に挑む。
何しろ舞台では正義が悪をやっつけるのではなく、何度も何度も返り討ちが続く。
仁左衛門が憎々しげにトドメを刺すところで万雷の拍手が湧く。
舞台に本雨が降る中での立回り、棺桶に忍んでいた水右衛門が棺桶をけやぶって出てくるところなど、見せ場はたっぷり。
水右衛門が宿敵の石井源之丞(錦之助)のタネを宿した芸者おつま(雀右衛門)をおなかの胎児ごとトドメを刺すとき、殺した人間の数を指折り数えるくだりなんかは凄惨そのものだが、仁左衛門の恍惚とした顔に見ている方は痺れてしまう。

最後は水右衛門が仇を取られて物語は終わるが、死んだはずの仁左衛門がムックと起き上がって「まず本日はこれぎり」の切り口上。
前から3列目の中央付近に座っていたが、思わず「松嶋屋!」と叫んでしまった。