善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「テルマ&ルイーズ」「ファム・ファタール」

イタリア・プーリアの赤ワイン「トルチコーダ(TORCICODA)2021」

イタリアを代表するワインメーカー、アンティノリがイタリア南部のプーリア州で手がけるワイナリー、トルマレスカのワイン。

地元プーリアの土着品種プリミティーヴォを100%使用。飲みごたえのある赤ワイン。

 

ワインの友で観たのは、民放のBSで放送していたアメリカ映画「テルマ&ルイーズ」。

1991年の作品。

監督リドリー・スコット、出演ジーナ・デイビススーザン・サランドン、ハーベイ・カイテルマイケル・マドセンブラッド・ピットほか。

「エイリアン」「ブレードランナー」などのリドリー・スコット監督が女性2人の友情と逃避行を描き、「1990年代の女性版アメリカン・ニューシネマ」と評されたロードムービー

アーカンソー州でウエイトレスとして働く独身女性ルイーズ(スーザン・サランドン)は、親友で専業主婦のテルマジーナ・デイビス)と週末のドライブ旅行に出かける。途中立ち寄ったバーで男の気を引いたテマルが店の駐車場でレイプされそうになり、助けに入ったルイーズが護身用に持ってきた銃で男を撃ち殺してしまう。ルイーズには、かつてレイプ被害を受けたトラウマがあった。

警察に指名手配された2人は、さまざまなトラブルに見舞われながらメキシコに逃亡しようと車を走らせるが・・・。

 

アカデミー賞で監督賞など5部門にノミネートされ(主演女優賞には2人がノミネート)、脚本賞を受賞した作品。2024年2月、スコット監督自身の監修により製作された4Kレストア版でリバイバル公開。

 

デビュー間もないブラッド・ピットがヒッチハイカー役で出ているが、実はコンビニ強盗の常習犯で、彼女らをだましてカネを盗んでトンズラしていくチンピラの役だった。ほかにも、映画に出てくる男どもはどれも女性蔑視の連中ばかり。唯一、彼女らに同情するのはハーベイ・カイテル演じる刑事のみ。これじゃあ彼女らが自棄っぱちになるのもわかる気がする。最後は、破滅へと突っ走る彼女らを応援する気持ちになってしまった。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のCSで放送していた韓国映画ファム・ファタール」。

2008年の作品。

原題「無防備都市

監督イ・サンギ、出演ソン・イェジン、キム・ミョンミン、シム・ジホ、キム・ヘスク、ソイ・ビョンホ、キム・ビョンオクほか。

凶悪事件を扱う韓国の広域捜査隊の刑事チョ・デヨン(キム・ミョンミン)は、日本でも荒稼ぎしている国際的スリ組織を担当するよう指示される。デヨンは、捜査の中、美しい容姿と神技的なスリの技術を持つスリ組織のリーダー、ペク・チャンミ(ソン・イェジン)と運命的な出会いをする。

決して許されないと知りながら、互いに惹かれていくふたり。実はデヨンの母はスリの常習犯で刑務所暮らしを繰り返しており、そのことが彼のトラウマになっていた。さらにデヨンの母はチャンミの組織の一員でもあった。

やがてチャンミは縄張り争いで敵対するやくざ組織との対立を深めていく。一方、デヨン率いる警察も組織壊滅のための一斉捜査を準備していた・・・。

 

原題の「無防備都市」に対して、邦題は「ファム・ファタール」というフランス語のタイトル。

何のこっちゃ?と思ったら、「ファム・ファタール」とは男にとっての「運命の女(宿命の女)」を意味し、しばしば文学や絵画のモチーフとして登場するのだとか。そういう方面に疎くて「ファム・ファタール」という言葉を知らなかったが・・・。

2002年公開のフランス・アメリカ合作の映画でブライアン・デ・パルマ監督・脚本の「ファム・ファタール」(原題もFEMME FATALE)というのがあったが、本作とはまるで関係ない。同名の映画が公開されていいの?と思ったら、本作は劇場未公開のようだ。

本作を見ていて、「ファム・ファタール」という横文字の邦題はかなり安易で強引な意味づけで、ムリがあるなと思った。

普通、「ファム・ファタール」という場合の「運命の女」というのは、「恋心を寄せた男を破滅させるために、まるで運命が送り届けたかのような魅力を備えた女」のことをいうのだそうだ。

つまり、魔性の女というわけだが、本作に登場するソン・イェジン演じるところのペク・チャンミは、決して、男を破滅させるための魔性の女ではない。

彼女の母親は実はキム・ミョンミン演じる刑事チョ・デヨンの母親と同じに、スリの常習犯であり、2人は同じ境遇を持つという意味での「運命の女」なのだ。

そうなると、本作がいわんとするところはまるで違ってくる。

スリが横行するような“無防備都市”に生まれ育った2人の男女の悲劇、ととらえるべきなのであり、原題はまさしくそのことをいっているのである。

 

そもそも無防備都市はどうしてつくられたか?

植民地時代の日本の責任も大きいのではないか。

観ていて気になったのが、登場人物たちがしきりに「ナワバリ」と日本語を使っていたことだ。日本のヤクザの「縄張り」と同じ意味で使われていた。

朝鮮半島が日本の植民地だった時代、日本のヤクザも朝鮮半島に進出していって、ソウルを拠点に朝鮮半島の裏社会を支配していたといわれる。当時、日本は朝鮮の人々に日本語を強要していたから、ヤクザの言葉も日本語が盛んに使われたのだろう。

「縄張り」以外にも、「親分」「子分」といったヤクザ言葉の日本語が今も韓国では使われているという。

帝国日本による朝鮮統治は、政治的には弾圧、経済的には搾取・貧困化により、人々は抑圧された社会を生きることを余儀なくされたといわれる。多くの農民が土地を追われ、都会へとさまようようになり、行き場のなくなった人たちが犯罪へと走ったケースも少なくなかっただろう。

そうして形成されていったのが韓国の裏社会であるなら、本作を単なる“魔性の女”の物語として見ることはできないのではないかと思う。

 

原題の「無防備都市」というのも気になるタイトルだ。

無防備都市」といえばロベルト・ロッセリーニ監督の1945年のイタリア映画で、イタリア・ネオレアリズモの原点であり代表作でもある作品。この映画では、ナチスドイツ制圧化でのレジスタンスを描いているが、中でも、結婚式当日に夫となるレジスタンスの男がナチスに逮捕され連れ去られるとき、アンナ・マニャーニ演じる新婦が、夫の名前を叫びながら護送する車両を追って路上で射殺されるシーンが衝撃的だった。

イ・サンギ監督はこの映画を意識して、本作をつくったのだろうか?

それで気になって調べたら、彼は記者発表のときにこの映画のタイトルについて聞かれ、「今の韓国はスリ犯罪に無防備な状態にある意味」と説明していて、さらに、こうも付け加えている。

ロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』が好きで、よい映画をつくりたいという個人的な思いも込めた」

やっぱりそうだったのか。