善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

ウワサの阿佐ケ谷「豚八戒」

友人と連れ立って、以前から行きたかったJR中央線阿佐ケ谷駅近くの「餃子坊 豚八戒」へ。

「豚八戒」と書いて「ちょはっかい」と読む。中国・明代の長編小説「西遊記」に出てくる「猪八戒」にあやかった店名だろうが、猪ではなく豚肉を食べるからそのシャレだろうか。

なかなか予約が取れない店として有名で、「ミシュラン東京ガイド」の「ビブグルマン」に何年も連続して選ばれた餃子の名店として知られる。

 

阿佐ケ谷駅の改札を出て南口広場に向かうと、巨大なクリスマスツリーがお出迎え。

実はこれ、南口噴水広場に生えている高さ33・5mのアケボノスギをクリスマスツリーに見立て、約2万個のLED電球でライトアップしているもので、都内一の高さを誇るクリスマスツリーなんだとか。

阿佐ケ谷駅周辺の商店会が協力して行っているもので、去年で26回目となり、12月3日から今月31日まで、阿佐ケ谷の冬の夜空を彩るという。

巨大クリスマスツリーを見ながら中央線の線路に沿って西に少し歩くと、早くも「豚八戒」の看板が目に入る。駅から歩いて2分の、とてもわかりやすい店だ。

古民家をリノベーションした店だそうが、1人~2人までと、3人以上では入口が違う。

この店がオープンしたのは2007年。オープン当初は7人ほどが座れるカウンターと、2階の個室しかなかった。

たしかオープンしてしばらくしてから店の評判を聞き、予約しようとしたことがある。しかし、何しろカウンター席しかないのでなかなか予約が取れず、断念したのを覚えている。

店がオープンして10年ほどして、店の裏のスペースに空きが出たので増床し、座席数が一挙に49に増えたそうだ。それで3人以上は増床した部屋に通されるようになったが、2軒の家をつなげた造りなので入口は別にあり、もともとあった店の入口から10mほど遠回りして中に入ることになる。

 

この店、日本と中国出身の夫婦2人で切り盛りし、日本人のご主人がマネジャー、中国黒竜江省ハルビン(哈爾濱)市出身の奥さんが調理を担当していて、奥さんは毎年里帰りしてはハルビンの餃子店を食べ歩き、研究を重ねているという。

席について、まずは瓶ビールで乾杯。

続いて紹興酒をボトルで。

料理は・・・とメニューを見るとおいしそうな餃子が5種類。

しかも、どの料理もリーズナブル!

順に、5種類全部を注文。

ほかにつまみもいろいろ。

まずは「じゃがいもの細切り」「高菜と枝豆のあえもの」。

 

最初の餃子は「華餃子(羽根付焼餃子)」。

具材はキャベツ、ニラ、豚挽き肉、タマネギ、キクラゲ。香りのいい八角や桂皮、丁香(ちょうこう)など9種類の中華系スパイスで味つけしていて、華やかな味わい。

皮は薄く、もち粉を混ぜているので、プリプリした具材の舌触りのよさと皮のモチモチ食感との絶妙のハーモニー。

 

続いて、こちらも見た目あでやかな「四川風麻辣水餃子」。

餃子の上に乗っているのは特製ラー油とパクチー

具材は挽き肉、ニラ、シイタケ、そして、意外にも豆腐が入っているから、やさしい味。

そのやさしい味が、パクチー、ラー油といいコラボレーション。

 

3皿目は「八戒餃子(精進蒸餃子)」。

「精進」とある通り肉は使っていないが、干海老は入っているのだとか。

 

4皿目は「明蝦(ミーシャー)餃子(海老水餃子)」。

海老が丸々1尾入っている贅沢な餃子。具材はほかに挽き肉、ネギ、シイタケ。

噛むとプチッという海老の食感が何ともいえない。

 

シメの餃子は「天篷(テンポゥ)餃子(豆腐水餃子)」

何と豆腐がメインの餃子。それに挽き肉少々、ニラ、シイタケ。

あっさり味でシメにはよかったかもしれない。

 

料理の最後は「豚と海老のつくねスパイス焼き」。

エスニックふうで、豚と海老のつくねというのも変わった取り合わせ。新しい味と出会った感じの一品。

 

お酒の最後は、53度の白酒(パイチュウ)「汾酒 (フンチュウ)」。

コーリャン、大麦、エンドウを原料にした蒸留酒で、アルコール度は高めだが、口あたりのよさと、同時にやってくる深いコクが心地よい。

 

店を出ると、通りの奥のほうというか外れに「阿佐ケ谷南口 川端新興会 いちょう小路」の看板。

ここは昔ながらの飲み屋横町で、両脇に飲み屋が並んでいる。

「豚八戒」は2007年オープンの新参者だが、戦後の早い時期から、あるいはそれ以前から、ここは飲み屋街としてにぎわっていたのだろう。

それにしても不思議なのは、なぜ「いちょう小路」の看板が奥の方にあるのか。

駅前にある飲み屋街なんだから、普通だったから駅の近くに看板があって、駅から出てきた人が看板をくぐって飲み屋街に入っていくものだが、駅より遠い出口のほうに看板がある。

どうやらそのヒントは「川端振興会」という文字にありそうだ。

「川端」というからにはこのあたりにはもともと川が流れていたのだろう。

阿佐ケ谷という地名からしても、ここには谷があり、阿佐ケ谷川という川が流れていた。

今は暗渠になっているか埋め立てられたりしているが、昔は看板のあるあたりを阿佐ケ谷川が流れていて、その川端にあった飲み屋街が「いちょう小路」だったのではないか。

阿佐ケ谷駅ができたのは1922年(大正11年)。駅ができる前からにぎわう、歴史のある飲み屋街だったかもしれない。

川端に飲み屋が栄えるのは全国共通で、京都の先斗町は鴨川や高瀬川沿いに栄えているし、大阪の繁華街も道頓堀川など川沿いにある。福岡の中州はまさしく川端だ。

 

「いちょう小路」の看板を目にして、何だが昔がなつかくしなって(昔の阿佐ケ谷のことは知らないんだが)、「豚八戒」の向かいにある居酒屋「越川」でもうイッパイ。

クジラとイカの刺身で日本酒をグビ。

かくて阿佐ケ谷の夜は更ける。