善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「お早う」「小早川家の秋」

エスクード・ロホ・ヴィンテージ・コレクション(ESCUDO ROJO VINTAGE COLLECTION)2016」

ワイナリーのバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド・マイポ・チリは、、フランス・ボルドーのシャトー・ムートンを有するロスチャイルド社がチリで手がけるワイナリー。

チリとボルドーのブドウ品種をブレンドしてつくられたワインで、カベルネ・ソーヴィニヨン、カルメネール、シラー、カベルネ・フランブレンド

凝縮感のある果実味と熟成由来の複雑味が合わさった完成度の高い味わい、と宣伝文句にあるが、たしかにそんな感じが・・・。

 

ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していた日本映画「お早う」

1959年の作品。

監督・小津安二郎、脚本・小津安二郎野田高梧、音楽・黛敏郎、出演・笠智衆三宅邦子久我美子佐田啓二、設楽幸嗣、島津雅彦、杉村春子、高橋とよ、長岡輝子東野英治郎沢村貞子ほか。

東京郊外の新興住宅地を舞台に、元気な子どもたちに振り回される大人たちをコミカルに描く。

 

よく似た一戸建てが並ぶ多摩川沿いの新興住宅地。男の子たちは大相撲に夢中だが、自宅にテレビはなく、近所の家に上がり込んで見せてもらっている。

林(笠智衆)と妻・民子(三宅邦子)の息子・実(設楽幸嗣)と勇(島津雅彦)は、テレビを買って欲しいと両親にねだるが聞き入れてもらえず、「黙りなさい」と叱られてしまったことがきっかけで家でも学校でも口を利かないと決める。

朝、学校へ行くとき近所の人たちに「お早う」もいわない。子どもならではの天真爛漫な行為なのだが、ちょうど近所の主婦たちの間では婦人会費をめぐるモメごとがあり、実と勇の2人が急に口を利かなくなったものだから主婦たちに疑心暗鬼が生じ、余計にこじれてしまう。

そんなある日、心配した教師が家庭を訪れると、叱られると思った兄弟は勝手口から家を抜け出し、夜になっても戻らない。やがて知人の青年(佐田啓二)に連れられてしおしおと帰ってくると、廊下には父が買ってくれたテレビの箱が置いてある。

翌日、子どもたちは近所の主婦たちに「お早う!」と元気にあいさつし、物語はめでたく終わる。

 

「お早う」とか「ご機嫌よう」とかいう何気ない会話が大事だよ、と教える映画。

朝、駅のホームで電車を待つ、互いに気があるのに心のうちをいえないでいる若い2人(久我美子佐田啓二)が、青空を見上げながら「いい天気ですね」「おもしろい形の雲ですね」と何気ない会話をするところがさわやかだった。

 

この映画では、子どもたちの間で自由自在にオナラをするのがはやっているシーンがたびたび出てくる。「軽石を飲むとオナラが出やすくなる」という話をどこからか聞いた子どもたちは、せっせと軽石をナイフで削ってはその粉を飲み、おならの鍛練に余念がない。

小津監督はよほどこのエピソードが気に入ったらしく、映画のラストシーンは、朝の登校のとき、オナラに失敗して“実”をひりだしてしまった子どもが、家に帰って母親に怒られ、洗ったパンツが干してあるシーンだった。

 

このオナラを使ったギャグは小津がサイレント時代から温めていたアイデアだったそうだが、彼はどこでこの話を聞いたのだろうか?

なぜかというと、この話は上方落語の古くからのネタにあるからで、そのものズバリ「軽石屁」。

上方落語に通称「東の旅」と呼ばれる「伊勢参宮神乃賑」(いせさんぐうかみのにぎわい)というシリーズものの噺がある。十返舎一九弥次さん喜多さんならぬ、大坂(現在の大阪)に住む喜六・清八の2人組がお伊勢参りをする道中噺だ。大坂から見て伊勢は東にあるため通称「東の旅」として知られていて、喜六と清八の2人がお伊勢参りのあと近江・京を廻って大坂に戻る途中の噺の1つが「軽石屁」。

鈴鹿峠で清八にコケにされた喜六が、清八が乗る駕籠屋に悪ふざけをしようと、先回りして茶屋の親父に軽石がないかと頼み込む。

「親っさん知らんか?昔から『軽石の粉を飲んだらオナラが出る』てなこというやないか。軽石入りの酒を呑んで駕籠屋が担ぎ出すと屁がブゥブゥ出る。乗ってるやつ(清八)は前と後ろから屁攻めに遭って、もがき苦しむという趣向や」

茶屋の親父も「そりゃおもしろい」というので、やってきた駕籠屋に軽石の粉入りの酒を飲ませると、ひと休みしたあと駕籠を担いだ駕籠屋はオナラをプゥ~プゥ~やり出すものだから、乗ってる清八は「こりゃたまらん」。

この噺、関西あたりではよく知られていて、今も高座にかけられるそうだが、東京では聞いたことがない(私が知らないだけかもしれないが)。

小津は東京・深川生まれだから、いったいどこで聞いたのか?

調べてみたら、小津の家はもともと伊勢松坂出身の伊勢商人だったという。それゆえにか彼自身、子どものころから青春時代にかけて伊勢や松坂に住んでいて、神戸や大阪にも行って映画見物を楽しんだりしたらしい。

そんなときに落語を聴く機会もあり、寄席で聴いた「軽石屁」に大笑いしたことが忘れられなかったのかもしれない。

 

その前に観たのも小津作品。

民放のCSで放送していた日本映画「小早川家の秋」。

1961年の作品。

監督・小津安二郎、脚本・小津安二郎野田高梧、音楽・黛敏郎、出演・中村鴈治郎原節子司葉子新珠三千代白川由美、団令子、浪花千栄子小林桂樹加東大介宝田明杉村春子森繁久弥笠智衆望月優子山茶花究ほか。

当時、大手映画製作会社(松竹、東宝大映、新東宝東映)には「五社協定」があって、監督や俳優は自由に他社の映画をつくったり出演したりすることができなかった。それなのに本作は松竹専属の小津が初めて東宝に呼ばれてつくった映画。なぜ東宝かというと、1960年の「秋日和」のときに東宝から司葉子を借りた経緯があり、その“返礼”というので小津は東宝で1本撮ることになり、本作が実現したのだという。また、東宝藤本真澄プロデューサーが小津ファンであり、東宝系列の宝塚映画創立10周年記念ということもあったという。

 

家族のしがらみがてんこ盛りになったような映画だった。

家族構成からしてややこしい。

京都・伏見の造り酒屋・小早川家の当主・万兵衛(中村鴈治郎)の妻はすでに亡くなっていて、彼には3人の娘がいた。2人は本妻との娘で、1人は愛人との間にできた娘。ほかに死んだ長男の嫁がいる。

亡くなった長男の妻、つまり未亡人の秋子(原節子)には親戚から再婚話が持ち込まれていて、相手の男はちょっとお調子者の鉄工所の社長(森繁久弥)。一方、酒屋の経営を取り仕切るのは長女の文子(新珠三千代)の夫で入り婿の久夫(小林桂樹)。会社勤めをしている次女の紀子(司葉子)は、婚期を迎えて縁談が持ち込まれるが、彼女自身は札幌に転勤することになっている会社の同僚(宝田明)に思いを寄せている。

万兵衛は万兵衛で、このところかつての愛人(浪花千栄子)のところに通う日々が続いていて、愛人との間にできた娘(団令子)からは「ミンクのコート(あるいはショール?)を買って」とせがまれている。

この家族に、万兵衛の妹(杉村春子)、義弟(加東大介)らが入り乱れて物語が進んでいくが、松竹に所属する小津がわざわざ東宝から招かれてつくった映画なので、小津組の常連と東宝のスター俳優がこぞって出演していて、豪華なキャスティング。しかし、その割りにはにぎやかな話というより、当主の万兵衛のあっけない死による寂寥感の漂う結末だった。

 

小津映画で常連の笠智衆がいつ出てくるかと待っていたら、最後の最後、望月優子と夫婦役の農夫のシーンで、火葬場の煙突を2人で見上げていて、煙が出てないので「きょうはだれも死んでないのか」といぶかっていたが、ようやく煙が上がって(それは万兵衛の火葬の煙だった)、きょうもまた一人死んだことを知る。そしてこうつぶやく。

「死んでも死んでも、あとからせんぐりせんぐり生まれてくる」

「せんぐり」とは「順次」とか「次々に」といった意味らしいが、小津がそこでいいたかったのは、人の世の無常ということなのか。

小津は、万兵衛の愛人(浪花千栄子)とその娘(団令子)との会話の中で、過去がどうだったかよりも生きている今こそが大事だと、次のような会話を2人にさせていて、とても印象的なセリフだった。

娘「なあ、お母ちゃん、あの人(万兵衛のこと)、ほんまにうちのお父ちゃんか? もう一人お父ちゃんがいたんと違うか? なあ、どっちがほんまのお父ちゃんやの?」

母「そんなこと、どっちゃでもええやないの。あんたがええように思うといたら」

娘「お母ちゃんにもわからへんのか。うち、どっちがほんまのお父ちゃんかてかまへんけど、うちが生まれたのは事実やもんなあ。もうこないに大きくなってるんやもん」

母「そやそや、その通りや。そう思うとき」

何という現実肯定というか自己肯定感。人生とははかないものなのだから、生きている今を大事にしなさい、と小津はいっているのだろうか、

そこで思い出したのが「胡蝶の夢」の故事だ。

中国の戦国時代の思想家・荘子は、夢の中で胡蝶になり、自分が胡蝶か、胡蝶が自分か、区別がつかなくなったという。結局、荘子は「夢が現実か、現実が夢なのか?しかし、そんなことはどちらでもよいことだ」といっていて、「胡蝶の夢」という言葉は、自分と物との区別のつかない物我一体の境地、または現実と夢とが区別できないことのたとえとして、また、人生のはかなさのたとえとして使われている。

北鎌倉の円覚寺にある小津の墓は「無」の一文字が刻まれているという。

「自然に帰れ」と説く老子荘子老荘思想における「無」の境地に通じるところがあるのかもしれない。

 

本作は、原節子司葉子新珠三千代白川由美、団令子と、女優陣による“競演”も見どころだったが、見ていて一番美しいと思ったのが新珠三千代。監督の小津も彼女をいたく気に入って、撮影の合間に「松竹でつくる次回作に主演してくれ」と小津が新珠に懇願する場面もあったんだとか。