善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「グッド・シェパード」「ホワイト・クロウ 伝説のダンサー」

イタリア・トスカーナの赤ワイン「サンタ・クリスティーナ・キャンティ・スペリオーレ(SANTA CRISTINA CHIANTI SUPERIORE)2020」

イタリアの老舗ワインメーカー、アンティノリが手がけるワイン。

サンタ・クリスティーナは1946年の発売以来長く愛され、イタリア国内で「その名を知らぬものはいない」といわれるロングセラーを記録しているのだとか。

トスカーナの中心に位置するキャンティ地区で育ったサンジョヴェーゼとメルロをブレンド

 

ワインの友で観たのは、民放のBSで放送していたアメリカ映画「グッド・シェパード」。

2006年の作品。

原題「THE GOOD SHEPHERD」

監督・製作ロバート・デ・ニーロ、出演マット・デイモンアンジェリーナ・ジョリーアレック・ボールドウィンロバート・デ・ニーロほか。

「ミッション・インポッシブル」のイーサン・ハントや「007」のジェームズ・ボンドはカッコイイだけの架空の話。ホントはこんなに陰惨で恐ろしい、と“スパイの真実”を描くサスペンス映画。

製作総指揮にはフランシス・フォード・コッポラも名を連ねている。

 

第2次世界大戦前、名門イェール大学のエリート学生だったエドワード(マット・デイモン)は軍からスカウトされてCIA(アメリカ中央情報局)の前身であるOSS(戦略事務局)の一員として国家の諜報活動に従事することになる。

そして戦後、東西冷戦が始まった1961年、革命によって社会主義政権となったキューバのピッグス湾に、亡命キューバ人の部隊がカストロ政権の転覆をもくろんで上陸。しかし、これを支援するCIA内部の情報漏れによって作戦は失敗してしまう。

CIAは窮地に追い込まれ、作戦の指揮をとったエドワードにも疑いの目が及ぶ・・・。

 

ピッグス湾事件は、表向きは亡命キューバ人が祖国のために上陸侵攻を行ったことになっているが、実際はアメリカのケネディ政権が行った軍事侵攻だった。計画から実行まですべてCIAの主導で行われたが、上陸からわずか2日で撃退され、作戦は失敗に終わった。

 

冷戦時、CIAが暗躍して外国の政治に介入したり政権転覆を画策した例はいくつもある。

1953年のアイジャックス作戦は、CIAとイギリスの諜報機関MI6が共謀してクーデターを起こし、当時のイラン首相だった人物を失脚させた事件。

1954年にはグアテマラで政府転覆を図ろうとクーデターを画策し、PBSUCCESS作戦と呼ばれている。

1955年~64年にかけて日本で保守合同を支援し、自民党の結成に関与していたことが、機密指定解除となった外交文書に記述されている。この当時、CIAから自民党など親米政治家に秘密資金が提供されたことも外交資料から明らかになっている。

1963年にはベトナムゴ・ジン・ジェム政権転覆支援。1965年、インドネシア共産党の大弾圧とスカルノ大統領の失脚につながるクーデターの一連の動きを、背後から糸で操っていたのがCIAだった。

 

映画の中で、ソ連のスパイと疑われて拷問にかけられ、あまりに残酷な拷問に耐えられなくなって自殺してしまう男が、窓を破って飛び下りる直前に叫ぶ言葉が、この映画のテーマを言い尽くしている。

ソ連の脅威なんか、本当は存在しない。あの国は死んでいるんだ。アメリカの軍需産業が儲けるために、ソ連の脅威をいいふらして国民をだましているんだ」

 

タイトルの「グッド・シェパード」とは聖書に出てくる「よき羊飼い」、そこから転じて「指導者」を意味し、イエス・キリストをさす象徴的表現という。

ラングレーにあるCIA本部のロビーの大理石の壁には聖書の一節が刻まれていて、「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」と記されているという。

映画の中でこんなセリフがあった。

「CIAにはTheがつかない。神(God)にTheがつかないのと同じだ」

彼らは自分たちこそは神になりかわって「真理」を知らせるための「よき羊飼い」と思っているのだろうか。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のBSで放送していたイギリス・ロシア・フランス合作の映画「ホワイト・クロウ 伝説のダンサー」。

2018年の作品。

原題「THE WHITE CROW」

監督レイフ・ファインズ、出演オレグ・イヴェンコ、アデル・エグザルホプロス、セルゲイ・ポルーニンほか。

監督のレイフ・ファインズは俳優でもあり、本作でもバレエの先生役で出演。

この映画も何という偶然か、たまたま観たのに奇しくも「グッド・シェパード」と同じ東西冷戦下の1961年に焦点を当てた映画だった。

ソ連から亡命し、世界3大バレエ団で活躍した伝説的なダンサー、ルドルフ・ヌレエフの半生を描いた作品だが、当時23歳だった若きヌレエフが初めてパリにやってきて、そこで亡命を決意し、決行するまでを描いたサスペンス映画となっている。

 

1961年、若きダンサーのルドルフ・ヌレエフ(オレグ・イヴェンコ)は、海外公演のため生まれて初めて祖国ソ連を出る。時代は東西冷戦の真っ只中。フランスにやってきたヌレエフはパリでの自由な生活や文化・芸術に魅せられ、この町の文化を吸収しようと貪欲になる。しかし、その行動はKGB(国家保安委員会)に監視されていた。

彼はフランス人のクララ(アデル・エグザルホプロス)と親密になるが、政府の疑惑の目は一層強くなっていく。

やがて他の団員たちは次の公演地のロンドンへと旅立つが、ひとりパリに残ったヌレエフはモスクワへの帰国を命じられ、彼のとった行動は・・・。

 

カットバックふうに彼の半生が描かれているが、映画の主題は「なぜ彼は亡命したか」で、1961年の初の海外公演時にフランスに亡命した事件の顛末を克明に描いている。

政治的な問題というより、若きアーティストが、自分はどう生きていったらいいか、自己実現を果たすにはどうしたらいいかを模索し、決断し、足を踏み出していく物語といえるだろう。

 

1961年当時のパリの街が見事に再現されているが、パリ・オペラ座や当時のレニングラードのバレエ劇場、エルミタージュ美術館ルーブル美術館の中の様子などもリアルに描かれていて、主人公のヌレエフがエルミタージュ美術館ルーブル美術館で名画を観るシーンは実際に美術館内で撮影したという。

エルミタージュ美術館でヌレエフが見るのは、レンブラントの「放蕩息子の帰還」だ。

放蕩の果てに帰って来て、自分の愚かさに涙し、許しを乞う息子を父親が抱きしめた瞬間を描いている。そこから新たな出発が始まる、というので、ヌレエフの人生と重なるものがあるのだろう。

エルミタージュ美術館には長編映画には使わせないというポリシーがあって、内部の撮影許可はなかなか下りなかったらしいのだが、監督のレイフ・ファインズの頼みで特別に美術館を閉めてもらい、撮影することができたという。

 

パリのルーヴル美術館でヌレエフがジェリコの「メデューズ号の筏」を見上げているシーンがあるが、これも実際の場所で実物を閉館日に撮影しているという。

メデューズ号の筏」は、フランス海軍のフリゲート艦メデューズ号が難破した事件を描いていて、遭難者たちが筏に乗って漂流しながらも、必死に生きようとする姿を描いている。形式美と理知的な描写を重んじる新古典主義から、個人の感情をダイナミックに表現するロマン主義へと変わっていく時代の象徴的な作品で、これもヌレエフの生き方と重なるような作品だ。

 

主人公ヌレエフ役に抜擢されたのは、オーディションによって見出された現役のタタール劇場のプリンシパル、オレグ・イヴェンコ。踊れることを第一とし、演技未経験の現役ダンサーが選ばれたという。