善福寺公園めぐり

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宮田昇 図書館に通う 米USISと図書館、そして原発

宮田昇『図書館に通う 当世「公立無料貸本屋」事情』(みすず書房)を読む。

著者は編集者、翻訳権エージェントとして、出版界で60余年を生きてきたという大ベテラン。リタイア後、近所の公共図書館を利用するようになり、利用者の一人として図書館の役割、問題点などについて述べるとともに、本とかかわったご自身の人生についても振り返っている。

読んでいて興味深かったのは、図書館の話よりご自身の昔の話。
氏は1928年生まれというから終戦のとき17歳。
貸本屋をやったり、近代文学社勤務をへて、24歳ごろの1952年から早川書房の編集者。さらにタトル商会というアメリカ人商社の著作権部に移り、その後、独立して海外著作権エージェントの代表者となる。

戦後、日本はアメリカの占領下にあり、1952年、連合国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)、日米安保条約が結ばれて主権を回復する(その後も沖縄はアメリカの施政権下のままだったが)。

本書によれば、GHQ連合国軍総司令部、といっても実際は米軍総司令部)による占領の時代、文化・教育などの政策を担当したのはCIE(民間情報教育局)であり、その役割はマスコミ統制から政教分離、六・三制の教育改革まで多岐にわたったが、公共図書館学校図書館の普及など図書館制度を近代化し、アメリカの著作物の普及にも力を入れたという。

占領が終わって、CIEの役目を引き継いだのがアメリカ大使館内にできたUSIS(文化交換局あるいは文化交流局)。
USISは親米・反共の出版活動のためにかなりカネもばらまいていたようで、本書によれば、当時のソ連の大粛清の内幕を描いた亡命者の著作の翻訳原稿をもらいに著者がUSISに出向いたところ、翻訳料も著作権料もUSISが負担した上に、一定部数の買い上げまでしてくれて、驚いた、と述べている。

著者によれば、アメリカの著作の翻訳をしている出版社のほとんどが、USISと何らかの関係をもっていたという。
そしてこう述べる。
アメリカ文学全集がUSISの全面的バックアップによるものであることや、ピーター・F・ドラッカーでさえ、その線で日本にまず紹介されたことなど、いまでは知る人も少なくなっているだろう。
これはアイゼンハワー大統領時代、世界的展開をはじめたアメリカの文化戦略のひとつで、日本にだけ向けられたものではない。だがヨーロッパより、日本、韓国、ベトナムなど東アジアに重点がおかれ、とくに日本により多くの資金が投じられたという。プロパガンダとは無関係な著作物から反共反ソ反中国のものまで、その幅は広かった」

当時、日本の出版社の中には、出版のほとんどをUSISの援助に依存している社もあったし、積極的にUSISに協力するシリーズを出したところもあった、とも著者は述べている。

著者によれば、USISのアメリカ著作物の翻訳出版援助活動は、1970年代まで続いたという。

「疑問は、ときに数百冊、ある場合は千部以上、USISに買い上げられた本の行く先である。・・・私のかすかな疑念は、それらの本が、そのころは予算が限られ、貧弱だった地方の公共図書館の書架に収まっていたのではないか、もしかして直接送られていたのではないか、ということだ」

三省堂から出ている『新グローバル英和辞典』によれば、USISは「各国アメリカ大使館内にある対外宣伝機関。CIA の出先機関」とある。

CIAの出先機関というからには、親米出版社にカネをばらまくだけでなく、文化・マスコミがらみの水面下の情報活動にもかなりの力が入れられていただろう。

そういえば2007年10月21日付の共同電で、次のようなワシントン発のニュースがあった。

京大教授陣に反共工作 米、左傾化阻止へ世論誘導
【ワシントン共同】1950年代に日本の左傾化を恐れた米広報文化交流局(USIS)が日本で行った世論工作を詳述した報告書が21日までに米国立公文書館で見つかった。
左派勢力が強かった京都大学の教授陣を対象にした反共工作のほか、日本映画やラジオ番組の制作、出版物刊行をひそかに援助、米国が望む方向への世論誘導を図った実態が細かく描かれている。
報告書は、米政府情報顧問委員長(当時)を務めたエール大学の故マーク・メイ教授が59年、日本に5週間滞在しまとめた。
フロリダ・アトランティック大学のケネス・オズグッド助教授が発見、冷戦時代の米対外世論工作をテーマにした著書「トータル・コールドウォー」の中で明らかにしている。
報告書によると、USISは(1)日本を西側世界と一体化させる(2)ソ連、中国の脅威を強調する(3)日米関係の強化で日本の経済発展が可能になることを理解させる──などの目的で50の世論工作関連事業を実施。このうち23計画が米政府の関与を伏せる秘密事業だった。
この中には、USISが台本を承認して援助した5本の映画やラジオ番組の制作、出版物刊行、講演会開催などがある。特に57年12月に封切られた航空自衛隊の戦闘機訓練を描いた映画を、日米関係や自衛隊の宣伝に役立ったと評価している。この映画はかねて米政府の関与がうわさされた「ジェット機出動 第101航空基地」(東映高倉健主演)とみられている。

本書には出てこないが、日本に原発が導入されたのもアメリカの世界戦略の一環だった。当時、原水爆反対で盛り上がっていた日本の世論を巧みにかわして、原子力を普及させるキャンペーンが行われたとき、USISが大きな役割を果たしたという。