善福寺公園めぐり

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“寅さん映画”で“小津映画” 「こんにちは、母さん」

新宿ピカデリーで9月1日から上映が始まった映画「こんにちは、母さん」を観る。

2023年の作品。

監督・山田洋次、脚本・山田洋次、朝原雄三、出演・吉永小百合大泉洋永野芽郁寺尾聰宮藤官九郎田中泯、YOUほか。

音楽・千住明、ヴァイオリン千住真理子

劇作家・永井愛の同名の戯曲を映画化。

演劇作品の「こんにちは、母さん」は永井の演出、加藤治子平田満杉浦直樹らの出演により新国立劇場で2001年3月初演。読売演劇大賞・最優秀作品賞、最優秀女優賞、最優秀男優賞など数々の賞を受賞。2007年にはNHKでテレビ・ドラマ化されている。

山田監督は初演のころに「こんにちは、母さん」を観て、何とか映画にできないかとずっと思っていたそうで、20数年たってようやく実現したことになる。

 

大会社の人事部長として日々神経をすり減らしている神崎昭夫(大泉洋)。

家では妻との離婚問題、大学生になった娘・舞(永野芽郁)との関係に頭を悩ませるが、久しぶりに足袋屋を営む母・福江(吉永小百合)が暮らす東京・墨田区向島の実家を訪れる。

「こんにちは、母さん」

しかし、迎えてくれた母の様子が、どうもおかしい・・・。割烹着を着ていたはずの母親が、艶やかなファッションに身を包み、イキイキと生活している。おまけに恋愛までしているようだ!

久々の実家にも自分の居場所がなく、戸惑う昭夫だったが、お節介がすぎるほどに温かい下町の住民や、これまでとは違う“母”と新たに出会い、次第に見失っていたことに気付かされてゆく・・・。

 

観終わって思った。この映画は“寅さん映画”であり、“小津安二郎へのオマージュ映画”だ!と。

まず、“寅さん映画”である由縁(ゆえん)。

舞台は東京の下町。「男はつらいよ」シリーズは葛飾・柴又。今は東京・下町といっても通じるかもしれないが、その昔は東京の外れの田舎。その点、今回は正真正銘の東京・下町(厳密にいうと江戸時代までは下町といえば今の神田・日本橋あたりまでで、隅田川を渡った本所、深川あたりは“川向こう”といって江戸の範疇にも入ってなかったらしいが)。

寅さんを演じた渥美清台東区下谷生まれで、浅草でコメディアンとして活躍した。

まさしく寅さんの故郷のような舞台設定。

 

さらに、吉永小百合演じる母・福江が住む足袋屋は、建物の外観から中の造作まで寅さんの実家の団子屋にそっくり。そこに近所の人がぶらりやってきておしゃべりしたり、これもまさしく寅さん映画の雰囲気。

 

決定的に寅さん映画に似ているのは、主演の吉永小百合が“女・寅さん”であること。

それまでどんな汚れ役をしてもミューズ(女神)だった吉永小百合が演じるのは、片思いのおばあちゃん役だ。

彼女は、足袋職人だった亭主が亡くなって以来ずっと一人暮らし。立ち上がるとき「どっこいしょ」というような年寄りになったが、ときめく心は失っていなくて、一緒にボランティア活動している教会の牧師さん(寺尾聰)に密やかな恋をしている。

しかし、自分の気持ちをいうことができない。とうとう、牧師さんが北海道へ転勤でいなくなるという日、「私も連れてって!」と口走っちゃうのだが、すぐに「冗談よ~」とはぐらかせてまわりをドギマギさせる。

そんな母を心配そうに見守るのが息子の昭夫(大泉洋)。

まさしく吉永小百合は寅さんで、昭夫の大泉洋は寅さんの妹のさくらではないか。

 

もう一つ、この映画は山田監督にとっての松竹の大先輩監督、小津安二郎へのオマージュでもあり、小津調といわれる小津独特の映像表現が随所に見られた。

松竹は2020年に100周年を迎えたが、小津の作品にしろ、山田監督で渥美清主演の「男はつらいよ」シリーズにしろ、描いてきたのは人の温かさ、人情の物語であり、人間にとって永遠のテーマともいえる家族の物語だった。

松竹に入社以来、人情と家族の物語を映画にしてきた山田洋次監督が、91歳にして90本目の監督作品で描いたのも、やはり人の温かさと人情と、そして家族の物語だった。

 

彼は1954年に大学を卒業し、助監督として松竹に入社。野村芳太郎作品の脚本家・助監督をつとめたこあと(「砂の器」などの脚本を担当)、1961年「二階の他人」で監督としてデビュー。

このときすでに小津は「小津調」と呼ばれる独特の映像世界をつくり上げていて、「麦秋」(1951年)、「東京物語」(1953年)、「彼岸花」(1958年)、「浮草」(1959年)、「秋日和」(1960年)、「小早川家の秋」(1960年)、「秋刀魚の味」(1962年)などの作品を監督していて、「秋刀魚の味」が遺作となった。

その当時、山田監督は小津の映画について「いつも同じような話ばかりで、たいして面白くもない」と思っていたという。それが、年とると小津映画のよさが分かってくるようになり、監督になって、さらにある年齢になってくると「すごいなこの人の個性は」と思うようになってきたという。

おそらく山田監督は、90歳にして「小津から学ぼう」と小津作品をたくさん見直して、研究もしたのだろう。ローポジションのカメラアングルとか長回し、カメラ目線でのセリフなど、小津調の撮影技法にチャレンジしている。

小津へのオマージュは撮影技法など形だけではない。

小津の映画を観ていつも思うのは「もののあわれ」とか「人情の侘しさ」といったものだ。映画はいつもハッピーエンドで終わるのではなく、どこか切ない余韻を残して終わる。

山田監督による本作で、小津映画の本質である「もののあわれ」「人情の侘しさ」を表現していたのが、田中泯が演じるホームレスのイノさんだったのではないか、と思う。

彼は隅田川べりで暮していて、吉永小百合の福江ら見守りのボランティアから「生活保護を受けなさい。そのためにも住むところを見つけませんか?」と説得されても、おれは人の世話になるなんてイヤだ、とガンとして受けつけない。

彼は東京大空襲のときに家族を失った地元の生き残りだが、人は人とつながってこそ生きていける存在なのに、頑(かたく)なに社会に背を向け、一人孤独に生きていこうとしている。究極の貧しさが、彼にそんな選択をさせてしまったのだろうか。

ボロボロの弱った体になりながらも、何とか生きるため、回収用の空き缶を山のように積んだボロ自転車を押しながらヨタヨタ歩くイノさん。

その姿からは、人生なんてどうせはかないものだという、一種の諦観さえも感じられるのだった。