善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

ブラックユーモアのオンパレード「天国にちがいない」

銀座・数寄屋橋交差点そばのエルメスビル(銀座メゾンエルメス)10階にあるミニシアター、ル・ステュディオで、映画「天国にちがいない」を観る。

フランス・カタール・ドイツ・カナダ・トルコ・パレスチナ合作で2019年の作品。日本での劇場公開は2021年。

原題「IT MUST BE HEAVEN」

監督・脚本・製作・主演エリア・スレイマン、出演ガエル・ガルシア・ベルナル、タリク・コプティ、アリ・スリマンほか。

エリア・スレイマン監督は1960年イスラエル・ナザレ生まれ。イスラエル国籍のパレスチナ人で、キリスト教徒。ニューヨークで映画づくりを学び、発表した映画作品はヴェネチア映画祭カンヌ国際映画祭などで高い評価を受けた。本作は10年ぶりの長編映画で、カンヌ国際映画祭で特別表彰と国際映画批評家連盟賞を受賞。

 

「この世界はパレスチナの縮図なのか?」。エリア・スレイマンが大いなる疑問を投げかける傑作コメディー。

ナザレに暮らすパレスチナ人映画監督のES氏(エリア・スレイマン)は、新作映画の企画を売り込むために旅に出る。ナザレからパリ、ニューヨークへと、主人公が行く先々で目にする、ちょっと不思議な日常の断片が、美しい映像とともにユーモラスに描き出される。

ナザレの奇妙な住人たち、ひと気のないパリの街を走る戦車、ニューヨークの公園で警察に追われる天使・・・。

映画はダイアローグを極力排し、多くを語らないが、そこにはスレイマン監督の世界の現状に対する風刺が込められている。

 

アラブ人(パレスチナ人)が住んでいたパレスチナの地からアラブ人を追い出し、ユダヤ人によって建国されたのがイスラエル。しかし国民みんながユダヤ人というわけではなく、建国のとき、元々住んでいたアラブ人のうち故郷を追われた人たちはパレスチナ難民となったが、中にはとどまった人たちもいる。現在の民族比はユダヤ人約74%、アラブ人約21%、その他約5%となっている(2022年5月、イスラエル中央統計局)。

中でも、住民のほとんどがアラブ人というのがナザレだ。

なぜナザレにアラブ人が多いのか。ここはイエス・キリストが育った地であり、住民の多くがアラブ人キリスト教徒なのだ。

イスラエル全体の統計では、ユダヤ教約74%、イスラム教約18%となっていて、キリスト教徒は約2%しかいないが(2020年、イスラエル中央統計局)、その逆をいってるのがナザレだ。

ナザレで育ったイエス・キリストユダヤ教の改革運動をはじめ信者を集めた人物であり、それがユダヤ教の幹部たちににらまれ、結局は十字架にかけられてしまう。

いわばユダヤ教から訣別してできたのがキリスト教であり、ナザレは聖地でもあるので、ユダヤ教徒もここには入り込みにくいのだろう。

そんなナザレで生まれ育ったパレスチナ人でキリスト教徒でもあるスレイマンがつくったのが本作。思わずクスッと笑えるようなブラックユーモアのオンパレードなんだが、映画の冒頭のエピソードからして笑える。

 

ナザレの教会でミサが行われていて、十字架を運ぶ神聖な儀式が始まる。立派な装束の聖職者を先頭に従僕たちが十字架を担ぎ、大勢の信者があとについて、聖堂の中に入ろうとして先頭の聖職者がドンドンと扉を叩く。ところが、扉は開かない。オヤ?と思って何度もドンドンと叩くのだが、それでも開かない。中に管理人がいてカギを開ける手はずになっているらしいのだが、中からは酔っぱらっているのか、「神なんか信じない」という悪態が返ってくる。

怒った聖職者は、装束をかなぐり捨てて裏口らしいところに駆けて行き、ドアを蹴破って中に入り、中でポカスカ殴りつけて中から扉を開け、その後は再び粛々とした十字架を運ぶ儀式が再開されていく。

神聖な顔をした聖職者も、仮面を剥げばそこには世俗が顔がある、とでもいいたかったのか。

 

場面変わってES氏の自宅。

2階のベランダからフト庭を見ると、男が庭の木から次々とレモンをもいでいて、ES氏の視線に気づいていう。

「私は泥棒じゃありません。隣人です。呼んだけども返事がなく、カギがかかってなかったので中に入ってこうして実をもらってます」

次に見たときには男は枝を剪定していて、別のときには水やりまでしている。

実は男は心優しいよき隣人なのか、それとも、パレスチナの地に勝手に入り込んできたユダヤ人のような男なのか。

 

ES氏がパリやニューヨークに旅すると、さらに不思議な光景があらわれる。

まるで毎日がファッションショーのように華やかに着飾ったパリジェンヌが行き交うパリの街中を、何台もの迷彩色に塗られた戦車が進んでいく。

街角で野宿しているホームレスの男がいる。そこへピーポピーポと救急車がやってくる。降りてきた救急隊員が男を担架で運ぶのかと思ったらそうではなく、「食事はビーフかチキン? 飲み物はコーヒー、ティー?」と、まるで旅客機の客室乗務員みたいな聞き方をして料理と飲み物を渡し、「ボナペティ(どうぞ召し上がれ)」とかいって去っていく。

ニューヨークでは、スーパーに買い物に行くと客の誰もがマシンガンのような銃を担いでいて、すれ違う人すべてがフル装備。アメリカの銃社会もここまできたのか。

いびつな社会を戯画化した形で描いていて、これぞブラックユーモアの真骨頂。

印象に残ったのは、酒場で男とES氏が白濁した酒(アラック?)を飲んでいるときの男の言葉だった。

「普通なら忘れたいために酒を飲むもんだが、(パレスチナ人の)あんたらは忘れぬために酒を飲んでる」

結局のところ、監督がいいたかったのはこのことではないのかと思った。