水曜日朝の善福寺公園は晴れ。雲が多く、日差しが弱くて寒い。
公園に着くと、いきなり文二らしいオスのカワセミ。
上池のお気に入りの枝にとまっていた。
池をめぐっていって、カワセミのオスの三郎のテリトリーでは、三郎らしいのがエサをゲットした直後で、しかも捕らえた小魚の頭を上にしている。
これは明らかにメスに求愛するときのプレゼントポーズ。
カワセミは、小魚を食べるとき、骨やエラなどが刺さったりしないよう頭から飲み込む。求愛のためにメスに獲物をプレゼントするときも、メスが魚を飲み込みやすいように頭から渡すようにするのだが、今はまだ繁殖期じゃないから、求愛には早すぎる。しかも近くにメスはいない。
そういえば何日か前、文二も同じポーズで獲物をくわえていたというから、春の繁殖期にそなえて今から求愛の練習をしているのだろうか。
それとも突如として「求愛せねば」という本能が働くことがあるのだろうか?
渡す相手がいないものだから、エサをくわえたまましばらくそのままでいたが、やがて自分で飲み込んでいた。
やっぱり練習か、はたまた本能のいたずらか?
公園を歩いていると小鳥たちの群れが頭上の枝をめぐっていく。
まん丸いところは、かこさとしの絵本「だるまちゃん」そっくり。
いつ見ても小さくてカワイイ。
下池では、遠くの枝にとまっているのは小四郎か、文太か?
メスのサクラらしいのもいつものお気に入りの場所にいたが、すぐにいなくなって、さらに歩いていくと、小四郎か、文太らしいのがエサをゲットしたところだった。
しかもかなりの大物で、一生懸命、枝に叩きつけたりしている。
獲物を弱らせてから飲み込むのだろうが、あれだけ大きいと飲み込むのもひと苦労に違いない。
シロハラが地面におりてエサを探していた。
すると、その上の枝にも鳥の気配があり、見上げるとシメがいた。
いつもはもっと早い時期に見つけるのだが、今シーズン初のシメとの出会い。
やはり寒い時期になると北の国からやってくる冬鳥で、頑丈そうで短いクチバシが特徴。このクチバシは強靱な力を持っていて、硬い木の実の殻をバリバリと噛み砕いて食べる。
なかなか精悍な顔をしている。
このところ毎日のように同じ枝にとまって、グジュグジュと低い声で鳴いているツグミは?と探すと、けさも同じところにいて、やっぱりグシュグジュいっている。
するともう1羽、別のツグミが近くにやってきたが、グシュグジュいってるツグミはそのまま動かない。
ツグミは、さえずりをしないので、口をつぐんでいるというのでツグミと名がついたといわれるが、さえずりをしないのは日本でのことで、繁殖のためシベリアとか北の国に帰れば当然、求愛のためのさえずりをする。
また、春が近づいてきて北へ帰るころになると、一緒に帰る仲間に合図を送るために鳴いたりする。
しかし、まだ北へ帰るわけでもないのになぜグジュグジュと低い声で鳴いているかというと、「ぐぜり」といって、どうやらさえずりの練習をしているようだ。
文鳥などの場合、若鳥はまださえずりが上手ではなく、生まれて数カ月するとさえずりの練習を始め、不完全なさえずりを繰り返して上達していく。この練習段階の鳴き声を「ぐぜり」といって、漢字で書くと「口舌り」。「口舌、口説」の動詞化されたものという。
成鳥でも、春が近くなると立派なさえずりをするために練習したりするようだ。
冬の間は「チャッチャッ」と地鳴きしていたウグイスが、春になって求愛のための「ホーホケキョ」が上手にいえずに、「ホーホケ」でとまったり「ケキョ」としか鳴けないのも「ぐぜり」の一種で、さえずりの練習をしているのだろう。
さえずりとは「恋の歌」。
正しいさえずりを歌ってこそメスは振り向き、求愛を受け入れてくれるのだから、特にオスの鳥にとってさえずりは子孫繁栄のための必須の条件。
それでツグミは、グジュグジュを繰り返しているのだろうか。