初笑いは、渋谷PARCO8階のPARCO劇場で正月恒例「志の輔らくご」。
立川志の輔の独演会。
例年なら初笑いは国立演芸場・新春国立名人会の小三治と決まっていたが、小三治が亡くなって以来さみしい正月をすごしていた。
運よく最前列中央寄りに座れたので、はっきりくっきり・じっくりたっぷり落語を楽しめた。
演目は、志の輔本領発揮の新作落語「まさか」と「狂言長屋」、仲入り(休憩)のあとは古典落語の大ネタのひとつ「百年目」。
「まさか」とは、「そんなことあり得ない」「よもや」「いくら何でも」というときに使う「まさか」。
近所のそろばん塾の先生の息子が嫁を迎えることになったというのでお祝いに出かけた男が、「まさか」「まさか」を連発することで起こる珍事を描く。
言葉とは、使い方次第で、笑いにも、場合によっては人を不愉快にもさせてしまう。
「まさか」には「いいまさか」もあり、宝くじに当たったりすれば、こんなうれしい「まさか」はない。
「志の輔らくご」のいいところは、落語にプラスして「へーっ」と驚いたり、思わずニヤリとするような仕掛けが用意されていること。
今回は落語のあとに「PARCO劇場の近くには“まさか”という名の坂がありますよ」と紹介していたので、帰りに見ることにする。
続く「狂言長屋」は、噺の途中に狂言師や笛・太鼓の囃し方が登場して本物の狂言が始まり、志の輔までも、狂言師の茂山逸平と狂言を共演。
茂山逸平は狂言大蔵流の名門・茂山千五郎家に連なる若手のホープだ。
以前、「志の輔らくご」で新作落語の「歓喜の歌」を聴いたとき、噺の最後に大合唱団が登場して志の輔の指揮によりベートーヴェンの「歓喜の歌」を歌い出してビックリしたが、同じようにビックリしたのが狂言と落語のコラボだった。
新年早々、こんな楽しいビックリは大歓迎。
仲入りのあとは、枕を含めて1時間にも及ぶ「百年目」。
ふだんは口やかましい大店(おおだな)の番頭をめぐる噺だが、「百年目」というとどうしても六代目三遊亭円生や三代目古今亭志ん朝と比較してしまう。
聴いていて、途中までは江戸落語とは違うなーと思いつつ聴いていたが、終りの方の旦那が諭すくだりが秀逸で、思わず目尻に涙がにじんだ。
円生とも志ん朝とも違う、古典落語に現代人でもよく分かる味づけをした新しい「百年目」を聴いた気がした。
正月らしくシャシャシャンシャンと三本締めで落語がハネたあと、PARCO近くにあるという「まさか」を探す。
渋谷は、その名の通り山あり谷ありの地形だから坂はたくさんあるだろうが、まさか「まさか」なんてないだろうと思ったが、教えてもらったところに行くと、たしかに「間坂(まさか)」という坂があった。
井の頭通りから公園通りへLoft沿いに進む道にあった「間坂」の道標。
1989年(平成元年)にLoftが一般公募により命名したという。
「渋谷駅と公園通りとの間」「ビルとビルの間」「『まさか』という語呂のよさ」「『間』という漢字が人と人との関わり合いをイメージする」というのが理由だとか。
ホントにあったまさかの坂。シャレかと思ったら意外と志の輔はマジメな人だった。