善福寺公園めぐり

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「修道女フィデルマ」から学ぶ男女同権

ピーター・トレメイン「修道女フィデルマの采配」(田村美佐子訳、創元推理文庫)を読む。

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7世紀のアイルランド・モアン王国(現在のマンスター地方)を舞台に、修道女で王の妹、弁護士・裁判官の資格も持つ美貌の女性フィデルマが探偵役をつとめるシリーズの1冊。シリーズは1993年から始まっていて、日本でも創元推理文庫から長編を8巻、短編集4巻まで刊行している大人気シリーズだという。

最新刊が「修道女フィデルマの采配」で、5つの作品を集めた短編集。

 

初めて知ったが、7世紀ごろのアイルランドにはヨーロッパのほかの国とは違う固有の法体系があって、女性も法律家として活躍していたという。

作者のピーター・トレメインは1943年生まれのイギリスの推理作家。同時に、古代のアイルランドの文化であるケルト関係の学術書を数多く著し、学会の会長や理事もつとめる著名なケルト学者でもあるというから、物語はフィクションとしても、かなり史実に則して書かれてあるのだろう。

 

古代アイルランドでは、150もの部族を中心とした小王国が乱立していたが、いずれもケルト語という共通の言語を持ち、太陽信仰を中心とする自然崇拝の多神教を信じ、ブレホン法と呼ばれる法律を共有していたとされている。

7世紀のころにはエール五王国と呼ばれるアイルランド五王国があったが、小説の主人公であるフィデルマは、エール五王国のいずれの法廷にも立つことができるドーリィー(法廷弁護士)であり、アンルーと呼ばれる上位弁護士・裁判官でもあったが、もともと彼女はエール五王国の1つ、モアン王国の王女で、国王の妹。すなわちお姫さまが法律家で名探偵ということになる。

20代半ばと推察され、すらりとした長身で、瞳の色は灰色がかった緑、被り物(ベール)の下から赤い髪が一房はみ出している。

 

読んでいて感心したのが、7世紀ごろのアイルランドの法(ブレホン法)とは現代と変わらないぐらい民主的だったということだ。

古代アイルランド社会では、女性は多くの面で男性とほぼ同等の地位や権利を認められていた。修道院など宗教施設では男女を区別することなく受け入れ、女性も男女共学の最高学府で学ぶことができ、高位の公的地位に就くことができた。

また、長子相続や世襲制度といった慣習はなく、最も優れた人間が上に立つべきだとブレホン法で定められていて、族長は民主的な手続きによって選ばれていたという。

なぜ古代のアイルランドで女性の権利が認められ、長子相続や世襲制度でなく民主的な手続きでリーダーが選ばれたかというと、アイルランドでは太陽信仰を中心とする自然崇拝が行われてきたからではないかと思う。

太陽はあらゆる生き物を平等に照らす。だとすれば人もみな平等である、一人一人の自由な意思こそが大事だ、という思想が根付いていたのではないだろうか。

支配する者が一番偉くて、女性差別が当たり前になっていったのは、むしろ一神教であるキリスト教によるところが大きかったのではないだろうか。

聖書によれば、アダムとイブが楽園を追放される「原罪」をつくり出したのは誘惑に弱いイブのせいということになっていて、それが「女性は男性に劣る存在である」とみなす根拠となり、キリスト教世界において女性差別が正当化されていく。

キリスト教において聖書は絶対のもの。だから、たとえば食べものにしても、スペイン人がアメリカ大陸からヨーロッパに初めてジャガイモを運んできたときも、「ジャガイモは聖書に出てこない食物。これを食すれば神の罰が下る」と当初は決して食べなかったといわれる。

キリスト教アイルランドにも5世紀ごろに伝わっていったが、ケルト人たちの自然崇拝の力は強く、このためアイルランドではキリスト教ケルト人たちが信仰していた自然崇拝を廃絶するのではなく、むしろ融合した形で広がっていった。それを象徴するのがケルト十字で、キリスト教のシンボルであるラテン十字のうしろに太陽信仰をあらわす太陽、すなわち円を組み込んだのがケルト十字(ハイクロス)だ。

8年ほど前、アイルランドを旅したことがあるが、どこに行っても目にしたのがケルト十字あり、太陽信仰の痕跡だった。

話は飛ぶけれど日本でも、太陽信仰が中心だったころには男女の差別はなかったのではないか。むしろ女性はシャーマンとしての役割を持っていたから、卑弥呼のように女性の王もいたのではないか。

ではいつごろから男中心になったかというと、少なくとも男系の天皇世襲されるようになったのは中国からの影響によるものだとの説がある。

そもそも王(皇帝)は男系継承でなければならないというのは中国・漢民族由来の思想であり、先進文明国だった中国の近くに位置し、中国をモデルに国家形成に励んでいた古代の日本は、7世紀末~8世紀はじめごろ、中国の体系的法典である律令を国家の骨格として導入したとき、家父長制とともに男系継承の体系も一緒に導入していったというのだ。

他国のマネがいつの間にか「万世一系」となってしまったのだろうか。

 

ところで去年の総選挙と一緒に行われた最高裁判事の国民審査で信任された渡辺恵理子裁判官が選挙の前に新聞のアンケートに答えていて、印象に残った本の1つとしてピーター・トレメインの「修道女フィデルマ」シリーズをあげていて、「作中にある7世紀ごろのアイルランド固有の法に興味」と回答している。

渡辺裁判官にはぜひとも、修道女フィデルマに負けないよう、聡明で国民の側に立った判決を期待したいものだ。