善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

エチオピア旅行記⑥ ダナキル砂漠と北エチオピア世界遺産周遊

6日目の15日(金)、午後はいよいよ教会を見て回る。

エチオピアの宗教はキリスト教エチオピア正教会)が中心で、その他イスラム教、アニミズムカトリックプロテスタントなどがあるが、最近はイスラム教が増えていて30%ぐらいになっているらしい。

エチオピアにはものすごい伝説がある。

旧約聖書』にシバ王国の支配者シバの女王の話が載っているが、女王は実はエチオピアの女王であり、イスラエルの王ソロモンの名声を聞いて、訪ねていく。
ソロモンはダビデ王の子どもで、イスラエル王国第3代目の王(紀元前961-922)。
女王はソロモンの知恵とイスラエルの神の力を称賛し、もともと持っていた太陽信仰の伝統を捨ててイスラエルの神に帰依することを宣言する。
そこでソロモンは奸計をめぐらして女王と同衾する。

帰国した女王は息子を出産。息子は成長後エルサレムに父のソロモンを訪ね、彼の嫡男として認知される。
エルサレムにとどまって王位を継ぐようにという父の説得を振り切って帰国しようとする息子に、ソロモンはイスラエルの貴顕たちの長男を随伴させることにし、エチオピアの地に第2のイスラエル王国を建てることを命じる。

ところが、彼らは帰国に際して、こともあろうにエルサレム神殿の至聖所に安置されていた「聖櫃(せいひつ)」(モーセが神から授かったといわれる「十戒」の2枚の石板を納めた箱。別名「契約の櫃」。エチオピア語でタボット、英語ではアーク)を盗み出して、これを祖国に持ち帰る。
これにより、王位に就いた女王の息子によってダビデ直系で男子相続の新王朝が創始された、という。

実に荒唐無稽な話だが、この話はエチオピア教会から認められ、1974年の革命で帝政が崩壊するまでは憲法にも明記され、エチオピアの人々の民族的イデオロギーともなっている伝説である。
(蔀勇造著『シェバの女王 伝説の変容と歴史の交錯』より)

アークを持ち帰ったソロモンとシバの女王の息子というのがメネリク1世であり、アクスムに王国を創設した。キリストが生まれる前の紀元前のはるか昔のころで、日本ではようやく弥生時代が始まったころの話だ。

午後はまず歴代の王の権力を象徴する石碑、オベリスク(ステラ)を見学。
市内を見渡せる眺めのいい場所にいくつものオベリスクが林立している。
中でもいちばん大きなオベリスクは高さ33mもある。一枚岩の建造物としては古代世界最大といわれ、重さが520tもあるが、残念ながら倒壊してしまっている。
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2番目に高いのが24mのオベリスク(左)で、こちらは壊れずに立っている。隣は3番目に高い23メートルのオベリスク。やや傾いていて、クレーンで支えられている。
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オベリスクの起源は太陽信仰にもとづくものといわれ、古代エジプトオベリスクには王の名前や神への賛辞がヒエログリフで刻まれているが、ここアクスムオベリスクは、まるで人が住む建物みたいな造りになっている。1階部分にはドアがあり、2階、3階と窓になっている。そこに王が住んでいるといいたいのだろうか。
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いちばん上は半円形をしていて、“アクスム様式”と呼ばれるもの。

実はこの24mものオベリスク、1937年にムッソリーニの命によりエチオピアに侵攻したイタリア軍によってローマに持ち去られていたもの。2005年にエチオピアに返還され、元の場所に戻された。イタリア軍が持ち去る際、あまりの重さに3つに分けてしまったという話もあるほどだ。

それにしても一枚岩のこんな重たいものを古代の人々はどうやって運び、立てたのか?
その技術力、それを実行させた権力の凄さに驚く。

しかし、オベリスクはこんなに高いものではなくても大中小とたくさんある。
かつては大64本、中246本、小は無数にあったという。
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小さいオベリスクを見て、思い出すものがあった。
アイルランドで見たメンヒルだ。メンヒルはヨーロッパの先史時代に立てられた直立した石のことだが、太陽信仰にもとづく意味合いがあるといわれている。

アクスムオベリスクも、太陽信仰との関わりがあるのかもしれない。

続いて行ったのが「シオンの聖母大聖堂」。
ここにはメネリク1世がエルサレムから持ち帰ったという、モーセ十戒が入ったアークが保管されている建物、シオンの聖マリア教会がある。ただし、アークは門外不出。たった1人の修道士によって守られていて、誰も中に入ることができない。
したがって外から建物を眺めるだけ。
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大聖堂の壁画。
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500年前のものというヤギ皮製の聖書を見せてもらった。
日本ならガラス越しにしか見られないシロモノだ。
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その後、6世紀のカレブ王の墓、4世紀ごろのエザナ王の碑文(1980年代に農民により畑の中から偶然発見された石碑で、ゲエズ語・ギリシャ語・サビアン語でエザナ王の戦勝を神に感謝した碑文が刻まれていて、この石碑を発見した3人の農民の名前も明記されてある)、シバの女王の沐浴場、シバの女王の宮殿跡を見て回る。
シバの女王の宮殿は今は廃墟となっているが、当時は3階建ての建物に54もの部屋があったという。ホントにシバの女王の宮殿だったかは疑問が残るが・・・。

夜はエチオピアのワインを堪能。「RIFT VALLY」とラベルにある。
飲みやすいワインだった。
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