善福寺公園めぐり

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アイルランド旅行記 その8 太陽神殿ニューグレンジ

出発から7日目、アイルランドに来てからは6日目の7月17日(木)、コネマラ・コーストホテルを出発してアイルランド島を西から東へ横断、ダブリンの北にあるニューグレンジをめざす。

途中、寄ったドライブインに何と日本のお寿司が。「oishii sushi 5・49ユーロ」。日本円で700円以上もする。
ちょっと高い。
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ダブリンの北約60㎞のあたりを流れるボイン川周辺には、40もの古代遺跡があり、ニューグレンジもその1つ。
周辺一帯は世界遺産に指定されている(1993年)。

ニューグレンジはアイルランドケルト人が住み着く以前、約5500年前の円形古墳。
古代エジプト文明が栄えたのが今から約5000年前といわれるから、ひょっとしてそれより古いかもしれない。
ニューグレンジとは英語で、「新しい農園、農地」とかいう意味だが、ゲール語アイルランド語)では「妖精の丘」とか「永遠の国の宮殿」などとも呼ばれるという。

しかし、この古墳は、「冬至の日の太陽を崇める丘」であった。

まず、古墳に行く前に説明がある。模型で見るとこんな感じ。丸い石の輪の中にある。
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現場に近づくと、丸い小山のようなのがニューグレンジ。
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巨大な円形の古墳には1カ所だけ入口がある。
入口の上にも四角い穴があいていて、冬至の日、この穴から内部に朝の光が差し込む。
そこに大きな意味を持つのがこの古墳だ。
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入口の前には不思議な文様の巨石が置かれてある。
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古墳をぐるっと一回りすると、裏の方にも渦巻きがあった。
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渦巻きの文様の意味するところは諸説あり、これだけで1冊の本ができるくらいだろう。

対立する2つの力が拮抗すればそれは渦となるという。
生と死。命が輪廻転生すると考えればこれも渦となる。
命とは生と死の渦の中に連続してあるものであれば、渦巻きは永遠の生命をそこに描くことになる。
渦は威嚇の文様との説もある。

そういえば日本の縄文土器にも渦を描いたものが数多い。
岡本太郎は、縄文土器の渦文様に「観る者を根底からゆさぶり、身のうちに異様な諧調を共鳴させる。それは習慣的な審美眼では絶対に捉えることのできない力の躍動」を感じると述べている。

ニューグレンジの入口から、背丈ほどの高さしかない細い通路を身をかがめながら進むと、中心部の広い空間にたどり着く。内部は撮影禁止なので、ここからさき写真はなし。
石を積み上げただけのアーチ状の空間になっているが、今まで一度も水漏れしたことがないという。
そして何と、冬至の日の朝日が、入口から地を這うように、まっすぐにこの石室まで入射するように設計されていて、石室は墓あるいは何かの儀式に使われたと考えられている。

実際に太陽光がまっすぐ入ってくるさまを、電気の光を使って再現されると、「おーっ」というどよめきの声があがった。

太陽信仰にまつわる遺跡としてはイギリス南部ソルズベリー北西にある環状列石ストーンヘンジが有名だが、それよりも古い時代に作られたのがアイルランドのニューグレンジだ。
ストーンヘンジの場合、夏至の朝日が差し込むように設計されていて、太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台など諸説がいわれている。

このように、太陽信仰はケルト以前のヨーロッパで巨石信仰とともに広く行われていたが、むろんヨーロッパだけではない。
エジプトの太陽神殿は、冬至の朝日が祭壇に指すようにつくられているし、メキシコのマヤ文明の遺跡には、太陽祭祀のための太陽観測の仕組みが備わっていた。
カンボジアアンコールワットの遺跡も、夏至冬至春分秋分の日の朝日が中心部に差し込むようにつくられている。

日本でも各地にストーンサークルがあり、たとえば秋田県大湯遺跡のストーンサークルは、太陽信仰と関係が深いとされ、通称「日時計」と呼ばれる立石などが残っているが、時代は縄文晩期(4000~3500年前)といわれている。

ほかにも太陽崇拝のための巨石遺跡が日本各地に点在していて、古代の日本人が崇めたのも、生命の源、太陽であった。
アイルランド人も日本人も、大昔は同じ信仰を持っていたことになる。

続いて、かつてのケルト王国の上王(ハイキング)がいた場所という「タラの丘」。
標高155mの丘だが、晴れた日にはここからアイルランドの国中が見渡せたという。
子どもたちが遊んでいた。
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こちらは牧草の陰でかくれんぼ?
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屹立するようにそびえるのが「運命の石(ファールの石)」と呼ばれる立石(メンヒル)。
この石に手を触れて、石が叫ぶとその人が上王になったのだという。
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しかし、もともとこの石はケルト以前のかなり昔からこの地にあったものだろう。
これも太陽崇拝と関わりのある石に違いない。「男根」を思わせるその形は生殖や生命の繁栄に通じ、やはり自然崇拝の対象となったろう。
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同じものがヨーロッパの各地にあるし、日本にも存在する。
秋田県大湯遺跡のストーンサークルの中心部には高さ1mほどの立石があり、タラの丘の立石とそっくりだ。

近くの木にいろんなものがくくりつけてあった。
「妖精の木」といって、身につけているものを何でもいいから願い事を託してこの木に結ぶと願いが成就するんだとか。
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タラの丘はパワースポットだった。

夕刻、ダブリン到着。宿は「クロークパークホテル」。クロークパークという8万人収容の競技場の向かい。ここに3泊する予定。

クロークパークは、もともとゲーリック・ゲームズというアイルランド独自のスポーツの専用競技場だが、最近やラグビーやサッカーの試合も行われているという。アイルランド最大のスタジアムで、ヨーロッパ全体でも4番目に大きいんだとか。
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今まで泊まったお城のようなホテルと違って、都会のホテルという感じのクロークパーク・ホテル。
ダブリンの中心部からは歩いて20分ほどのところという。平日は試合がないからか、静か。
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