善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

台湾発ミステリー 台北プライベートアイ

紀蔚然「台北プライベートアイ」(船山むつみ訳、文藝春秋)を読む。

台湾発のミステリーというので手にとる。

作家で大学教授でもある呉誠(ウ―・チェン)は若いころからパニック障害と鬱に悩まされてきた。ある日、日ごろの鬱憤が爆発して酒席で出席者全員を辛辣に罵倒してしまう。恥じ入った呉誠は教職を捨て、演劇界とも縁を切って台北の裏路地・臥龍街に隠棲し、私立探偵の看板を掲げる。「プライベートアイ」とは「私立探偵」の意味だそうだ。

ところが、呉誠は連続殺人事件の犯人と疑われ、警察の追及を受け、マスコミも大騒ぎ。冤罪を晴らすため、呉誠は真犯人探しに乗り出す。

 

もうすぐ50歳というアラフィフ男のモノローグで物語は進んでいく。

自意識過剰で常に物事をはすかいからみる人物で、ふだんはサファリハットをかぶり髭づらで街を徘徊しているらしいが、作者の紀蔚然の写真を見ると、そっくりな感じ。作者自身も大学の名誉教授で劇作家というから、主人公の人物形成は作者自身を投影しているのかもしれない。

しかし、大学教授で劇作家といってもシェークスピアとかベケットとかヨーロッパの劇よりアメリカのテレビやギャング映画に詳しいみたいで、どこかアメリカのハードボイルドの台湾版という雰囲気が漂っている。

 

随所に出てくるウンチクというか独り言がおもしろい。台湾人論があったり、日本人論まで登場していて、へー台湾の人はこんなふうに日本人を見ているのかと興味深かった。

 

気になったのが、本書で作者がいいたかったことでもあろう「若心有住、則為非住」という言葉だった。

金剛経」という仏教の教典に出でくる言葉らしいが、本書によれば若心有住、則為非住」とは「もし、心に住あらばすなわち、住に非ずとなせばなり」という意味だという。

そしてこう続ける。

「(この言葉は)おれが最近になってにわかに悟ったことや、おれの妄執を言い尽くしている。心が安住を求めても、表相の住に迷っているなら、それはすなわち、住にはあらずということになる。それゆえに、人々はあいかわらず、俗事のために騒ぎ立て、心配し、人情と世渡りのために喜んだり、悲しんだりしている。しかし、相から離れ、住しないことこそが真に住することなのだ」

 

白川静の「字通」によると、「住」には「すむ、すまう、すまう人」のほかに、「とどまる、とまる、やむ」、さらには「柱と同じ、たつ」の意味もあるという。

語系としては「安定したもの」「立ち止まる」という意味の言葉とも語源的には同系にあるという。

軽いタッチのミステリーにしては重い意味のことをいっている。