善福寺公園めぐり

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知らなかった言葉と出会う 「雪旅籠」

戸田義長「雪旅籠」(創元推理文庫)を読む。

 

江戸末期から明治へと移り変わる時代を舞台にした話に、現代風のミステリーの手法をほどこしての謎解き小説。

主人公は、若き日より“八丁堀の鷹”と謳われてきた北町奉行所定町廻り同心の戸田惣左衛門と、その跡目を継いだ息子清之介、そして惣左衛門の後妻となった元花魁のお糸。

全8編の連作短編集で、江戸市中で起こる数々の難事件を解決していく。中には「ちょっと謎解きにムリがあるな」というのもあるが、おもしろく読んだ。

作者の戸田義長は1963年生まれというから今年58歳。

若いとはいえないが年寄りでもない。それなのに、かなり古い日本語の言い回しが随所に出てきて、なかなか滋味あふれる内容となっている。

 

たとえばこんな箇所。

 

「母屋の方に高句麗(こくり)もくり逃げていった」

 

高句麗もくり」なんて、そんな言葉があるのかと「日本国語大辞典」を調べたら、たしかにあった。

「こくり(高句麗)」は「こうくり(高句麗)」の変化した語で、恐ろしいもの、無情・非道なことなどのたとえ。元寇の役のときに、蒙古とともに襲来した高句麗の兵士が、北九州地方を侵害したところからいう。多く「むくり」「もくり」などとともに用いられる、と「日本国語大辞典」にある。

これに「逃げる」がついた「高句麗(こくり)もくり逃げるは」とは、「もくり」は「蒙古」のことで、元寇のときの蒙古と高句麗との連合軍のように、さんざんのありさまで逃げていく、ほうほうのていで逃げる、という意味となる。

なるほど、歴史に裏打ちされた言葉のようだ。

 

こんな表現もあった。

 

「とんだ栃麵棒のお方」

 

これも現代人は「ハテ?」と首をひねるしかないが、「日本国語大辞典」によれば「橡(栃)麵棒のお方」とは、「うろたえ、あわてる人」を指しているらしい。

「栃麺」とは、栃の実を粉にし、これに小麦粉、そば粉などと混ぜてこね、棒で薄く打ち延ばし、切りそばのようにした食べもののこと。栃麺をつくるときに使う棒が「栃麺棒」だが、奈良県南大和、広島県高田郡など一部地方の方言で「栃麵棒」は「ひどくあわてること」の意味に使われているし、滋賀県甲賀郡では「栃麺」だけで「ひどくあわてること」となるという。

ではなぜ「「栃麵棒」や「栃麵」が「ひどくあわてること」になるか?

日本国語大辞典」では「とちめく坊の変化したものか」と注釈をつけている。

「とちめく」の出典は古く室町中期の「文明本節用集」に「あわて惑う、うろたえる、狼狽する」の意味で「トチメク」が載っていて、1593年(天正20年)の「天草本伊曽保物語(イソップの生涯の物語)」の中に「顔ウチ赤メテ、トチメクニヨッテ」との文言がある。

語源について「日本国語大辞典」は、トチはトリチガエ(取違)の略か。あるいは、栃の実で作るトチメン(栃麺)を延ばすときに、非常に手早く行わないと麺が収縮してしまうところから、あわてるさまをいったものか、と「大言海」の説を紹介している。

 

美人を表現するこんな箇所もあった。

 

「図抜けた尤物(ゆうぶつ)であり、臈長けて優美な気品に満ちている」

 

「尤物」とは「すぐれたもの」の意味で「優れて美しい女性、美女」の意味ともなる。

なぜ「すぐれたもの」が「美女」なのか。そこには「美女」以外の意味合いも込められているのではないだろうか。

何でこんなことをいうかというと、白川静の「字通」によれば、もともと「尤」とは象形文字では呪霊を持つ獣の形を表しているという。とすると、「尤」には男心を惑わす“妖しい”意味合いも含まれているのではないだろうか。

世界三大美人の一人とされる楊貴妃について、白居易や陳鴻は「国を傾けた尤物」と評していて、ここでの「尤物」とは男を惑わし道を誤らせる存在としての美女、という意味合いが強いという。

でも、男心としては、惑わされてもいいから美女は美女でいいのかもしれない。

 

それはともかく、「臈(ろう)長けて」というのも、普通なら「年功を積む」とか「長年の経験を積んで物事に巧みになる」の意味だが、これも昔は「洗練された美しさ」「気品のある美しさ」と、特に女性の美しさをほめる言葉として使われていたようだ。

ここで使われる「臈」とは仏教用語で、僧侶が受戒のあと、一夏(いちげ)90日の安居(あんご=外出しないで修行に専念すること)を行い終えること。また、この安居を区切りとして数えた僧侶の出家後の年数。その多少によって位次が定まる、と「日本国語大辞典」にある。

よく時代劇に出てくる江戸城大奥の役職に、上臈とか中臈というのがあった。これも元は仏教用語で、1000人とも3000人ともいわれる大奥女中の中から選ばれた「図抜けた尤物(つまりは飛び切りの美人)」が中臈となり、将軍は主に将軍付きの中臈の中から側室を選んだという。

将軍のお手はつかなかったもののさらに年功を積むと、大奥の最高位である上臈御年寄となるのだろう。

 

いずれにしろ言葉はおもしろい。