善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

平谷美樹 採薬使佐平次

平谷美樹(ひらや・よしき)『採薬使佐平次』(角川書店

大川で上がった惨殺体が握りしめていたのが見慣れぬガラス棒。実はそれは昇降図という温度計の一部とわかったが、将軍吉宗配下の採薬使、植村佐平次は知り合いの町方同心とともにそのナゾを追う。同じころ、西国ではイナゴの大発生により空前の被害が広がっていて、読み進んでいくうちに話はナントまあ、バイオテロっぽい様相を呈していき・・・・・・。

採薬使とは、八代将軍吉宗の命により、駒場薬園を本拠として諸国を旅し薬草等を採集・研究した者たちのことで、主要な構成員は吉宗から直接命令を受けて活動する間諜=御庭之者、いわゆる御庭番であった、という。

「採薬使」のタイトルにひかれて手に取ったが、読みはじめから気になっていたのが、やはりタイトルにある「佐平次」という主人公の名前。
ほかの登場人物の名前にも違和感を覚えたが、主人公の名前で、しかも将軍直属の武士の名前に「佐平次」はないんじゃないかと思った。

「佐平次」でまず連想するのは落語の「居残り佐平次」だ。江戸後期につくられた廓噺で、口からでまかせのペテン師・佐平次が廓を手玉にとるハナシ。

もともと「佐平次」というのはペテン師、インチキ、ごまかし、おしゃべり、差し出口の代名詞みたいな言葉で、本来は人形芝居の隠語だったという。
たとえば人形芝居では、「弁当を遣ろう」といっておいて遣らないと、「あいつは佐平次弁当をくれやがった」といったとか。
それが歌舞伎の楽屋を経て、のちには演芸界一般に行き渡り、寄席の楽屋でおしゃべりのことを「佐平次をあがく」といったりしたという。
(この部分、『古典落語 円生集・上』(ちくま文庫)の飯島友治氏の解説より)

日本国語大辞典』にも同様の記載があり、さらに「佐平次孝行」「佐平次張る」の類語も紹介されている。
「佐平次孝行」とは、口先だけの親孝行のことで、1777年出版の文献にある。「佐平次張る」とは、ですぎたまねをする、でしゃばる、の意味で、これも1774年の文献に載っている。
1774年は吉宗が死んでから20年ほどしかたってないから、すでに当時、「佐平次」という名前は少なくとも庶民の間ではひやかしの対象となっていただろう。

本書を読みながらもつい落語の「佐平次」を思い出してしまい、物語の世界に入りきれぬまま読み終えてしまった。
うーむ、困ったもんだが、名前といえど作品の重要な部分であるから、もうちょっと考えてほしかった。
そういえば池波正太郎とか昔の時代小説の作家は、いかにもその時代に実在したようないい名前をつけていたなー。

[追記]
以上のようなことを書いたら、「詐平次」さんという方から、「佐平次は実在する人物でござんすよ」とのご指摘をいただいた。なるほどそのとおりのようだ。へー、そうなのか。それにしても「佐平次」とはねー。
しかし、歴史書じゃなくて小説を読んでるのであって、私としては「佐平次」と聞くと、どうしてもある種の思い込みを抱いてしまうのが率直なところ。「詐平次」のほうがまだスンナリ読めた。
先入観というのは困ったものでもあるけれど。