善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

小三治の「やかんなめ」

5日夜は国立演芸場で「第364回国立名人会」。

トリが小三治とあって客席は満員御礼。中高年に混じって若い人(それも意外と女性)も多い。
緞帳が上がると「喜色是人生」の掲額。藤原定家の子孫で昭和天皇侍従長をつとめた入江相政氏の筆になるものとか。

まずは前座の柳家まめ緑が「狸賽(たぬさい)」を演り、演目は次の通り。
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落語「鼓ヶ滝」      古今亭 菊千代
落語「お見立て」     柳家 〆治
落語「井戸の茶碗」   金原亭 伯楽
―仲入り―
落語「万金丹」      柳亭 小燕枝
曲芸           翁家和楽社中
落語「やかんなめ」   柳家 小三治

菊千代は女性初の真打ちの1人。前座のまめ緑も女性だから2人続けて女性の噺家が登場。
「鼓ケ滝」は西行の旅のエピソード。
〆治は廓噺の「お見立て」。中トリの伯楽は屑屋、浪人者、若侍の3人の正直者が登場して最後はメデタシとなる「井戸の茶碗」。
中入り後は小燕枝の「万金丹」。翁家和楽社中の曲芸がなかなか見せる。

大トリは小三治。この日はまくらにたっぷり30分。73歳にしていまだに同窓会をしょっちゅうやってるという話に始まり、同窓会で出る話といえば病気の話、薬の話。で、江戸時代の病気といえば男は疝気(せんき)、女は癪(しゃく)。
途中、花粉症の話になって「アタシは花粉症なんて関係ねーと思っていたら一昨年なった」という話からアレルギーの話。
ふたたび疝気、癪の話題に戻って、医学が発達してなかった時代、その人の体質に合ったというか、おまじないみたいなもので「合い薬」というのがあったんだそうで、たとえば女性特有の癪には男のマムシ指で患部を押すとピタリと治るとか、男の下帯、要するにフンドシで体をしばると治るとか、いろいろ迷信めいた治し方があり、これを「合い薬」といった。
そこからようやく「やかんなめ」に入ったが、この噺、別名「癪の合い薬」という。

向島に梅見に出かけた商家の奥様が突如、癪を起こして倒れてしまった。この奥様の合い薬はナント「やかん舐め」、つまりやかんを舐めればすぐに治るのだが、あいにく持ってきてない。ついてきた女中がホトホト困っていると、向こうの方からヤカン頭の侍がお供を連れてやってきた。それを見た女中、奥様のためと侍に駆け寄り「お助けください」。事情を説明して、おつむりを舐めさせてくださいと必死の懇願。カンカンになって怒った侍は、「武士に対して何ということを。無礼討ちだ」と息巻くが、お供は笑い転げるばかり。

「お怒りでしたらどうぞお手討ちになさってください」と必死の思いの女中に侍は、「そこまでいうなら忠義なその方に免じて」と承諾する。
やがて、侍が差し出した頭をベロベロ舐めた奥様は全快。
治った奥様一行が去ったあと、侍は頭がヒリヒリするというのでお供が見ると、頭には歯形が残っている。「ナント噛みつくとは」とあきれる侍に、お供は「ご安心ください。漏るようなキズではございません」

ナンセンスの極致で抱腹絶倒。こんな噺が当たり前に聴けるのが落語のすばらしさ。
ただし、現代人にはナンセンスな噺だが、江戸時代の人が聴いたら「ナルホド」と思ったに違いない。
なぜなら、そもそもヤカンの語源は煎じ薬を煮出すのに用いた「薬缶」。銅で作った薬缶が多くあり、銅のサビには緑青(ろくしょう)という成分が含まれていて、実際に癪に効果があったらしい。

まあ、侍のハゲ頭を舐めて治ったというのは、たぶんに「病は気から」ということなのだろうが。