善福寺公園めぐり

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柳家三三の「月例 三三独演」

先月に引き続き、落語家・柳家三三の「月例 三三独演」。場所は東京・霞ケ関イイノホール

客席は8割がた埋まっていて、やはり多いのは中高年。もちろん若い人も多い。

まずは開口一番(前座のことをこういうらしい)の柳家小はだ「代書屋」。

三三に弟子はいないようで(弟子をとらない主義なのか、まだ早いと思ってるのか、そういえばよく二人会をやったりしている柳家喬太郎は弟子をとらない主義といわれているが)、小はだは柳家はん治の弟子の二ツ目。はん治と三三はともに亡くなった柳家小三治門下で、はん治のほうが兄弟子だ。

 

続いて三三の「百川」。仲入りのあと「茄子娘」「蜘蛛駕籠」。

「百川」「蜘蛛駕籠」はともに滑稽噺で、大いに笑わせてくれる。日常生活で大笑いなんかすることのなくなった今、落語で大笑いするというのは実に気分爽快だ。

「百川」は江戸時代後期、日本橋浮世小路に実在した料亭「百川(ももかわ)」がモデルで、同店が宣伝のために、実際にあった出来事を一席の落語にまとめたともいわれている。

田舎から出てきた百兵衛さんが、百川に雇われ、その初日に河岸の若い者が宴会をしているところに御用を聞きに行かされ、「ワシはここのシジンケ(主人家)のカケアイ(抱え)人」といったのを、河岸の若い衆が「四神剣(シジンケン)の掛け合い人」と聞き間違えることから始まる騒動を描いている。

かつて六代目三遊亭円生の十八番だったが、円生が演(や)る百兵衛は田舎者だが年配の感じがしていたが、三三の百兵衛は若い男の感じだった。円生の「百川」は晩年に聴いたものだから、やはり演者の年が芸にも出るのだろうか。

 

蜘蛛駕籠」はもともとは上方落語の演目で「住吉駕籠」といって、住吉大社が舞台だった。この噺を東京に持ち込んで、舞台を鈴ヶ森近くにした。

鈴ヶ森は江戸時代に処刑場があったところで、東海道に面していた。ここから駕籠に乗って品川をめざしたり、川崎方面に行く人もいたのだろう。

オチがなかなか科学的で、雲助に隠れて2人で駕籠に乗った客(駕籠は通常定員が1人)が駕籠の中で相撲をとったりするものだから底が抜けてしまい、客も駕籠の中で歩いていく。雲助が2人で足が4本、2人の客の足が4本で、合計8本。

それを見た人が「蜘蛛駕籠だ」というのだが、たしかに昆虫は3対6本の脚なのに対して、昆虫ではないクモは4対8本の脚。「生物」の勉強になる落語だった。

 

ユニークだったのが「茄子娘」。

夏の夜を舞台にした濡れ場付きのファンタジーといえる噺だった。

東海道は戸塚近くの禅寺の和尚さんは、寺の裏庭で野菜を栽培していて、中でも大好きだったのがナス。毎日、早く大きくな~れ、大きくなったら菜(サイ)にしてあげるよ、とナスに話しかけていた

するとある夏の夜、17、8の美しい娘が現れ、自分はナスの精で、和尚さんが妻(サイ)にしてくれるというのでやってきました、という。

修行の身であっても木石ではない和尚さん。にわかの雨と雷に驚いた娘がしがみついてきたのを思わず抱き寄せると、娘の袖が乱れて真っ赤な襦袢の間から雪のような白い足がすうぅぅっと出てきて・・・。

ここで客席はシーンと静まりかえり、「今、お客さんののどをゴクリとする音が聞こえましたよ」と三三がまぜっかえすと大爆笑。