善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

敗れざる者 柳広司「アンブレイカブル」

柳広司アンブレイカブル」(角川書店)を読む。

 

作者は「ジョーカー・ゲーム」などで知られるミステリー作家。ミステリー好きとしては新刊が出たというので手にとるが、ミステリーというよりサスペンスタッチの社会的メッセージを込めた小説で、なかなか読みごたえのあるものだった。

 

本書で描かれるのは、戦前・戦中の治安維持法下で、「アカ」とか「非国民」「反日分子」のレッテルを張ることで平然と理不尽な行いをする特高警察の餌食になりながらも、志を曲げなかった人々の姿。

70年も80年も前の話だが、現代日本にも共通するところがあり、決して過去の物語ではないな、という思いで読む。

題名の「アンブレイカブル(unbreakable)」とは、直訳すれば「壊れない」あるいは「壊すことができない」だが、作者は「敗れざる者」という意味で用いている。

 

4つの物語が連作で続く短編集。

「雲雀」で登場するのは、「蟹工船」の作者でプロレタリア文学の旗手・小林多喜二特高警察の拷問により29歳で虐殺死。

「叛徒」では、反戦川柳作家の鶴彬(つる・あきら)。やはり特高警察に捕らえられ、29歳で獄死。

「虐殺」では、良心的な雑誌づくりに尽力していた若き編集者たち。約60人が特高警察に捕らえられ、4人が獄死、約30人に有罪判決。

「矜持」では、西田幾多郎などと並ぶ“日本の三哲”の一人といわれながら、終戦の年の9月、48歳で獄死した哲学者・三木清

それぞれの作品ごとに視点が明確で、しかもそれがしっかりとつながっていて、おもしろい。

「雲雀」では、蟹工船に乗り込む労働者の視点で描かれていて、その労働者の目から見る、真面目で明るくて、勤務先の銀行の同僚たちからも慕われる小林多喜二の姿が浮かび上がる。そして、その労働者は多喜二の小説を読むことで、蟹工船が如何に地獄なのかだけでなく、如何にして地獄なのかに気づく。

 

「叛徒」では陸軍憲兵大尉の視点で描かれる。

憲兵というのはもともと、軍隊内の犯罪や、一般人を対象とする場合も軍事に関係した犯罪を取り締まるのが主たる任務だっただろうが、天皇統帥権の名のもと、国家憲兵として次第に権限を拡大していって、やがて憲兵隊にも特高課が設けられ、思想警察としても活動を強めるようになっていったという。

だが、ここに登場する憲兵大尉は、まさか川柳や風刺画までもが取り締まりの対象となるとは思ってもいなくて、あらゆる表現という表現すべてが「共産主義(アカ)」として抹殺されていくことに戸惑うばかりなのだった。

 

「虐殺」に登場するのは知識人の一人で、いわば世の中を傍観者として見ている人物の視点。知り合いの編集者たちが次々と失踪していき、不思議に思っていると、彼らは旅館で出版記念の宴会を開いただけだったのに、そこで撮影された記念写真に写っていることを口実に「共産党再結成の謀議を行った」として逮捕されたのだった。

1942年の「横浜事件」をモチーフにした作品だが、もはや理由なんてどうでもいい、目をつけられた人たちは無差別に警察に引っ張られ、拷問され、虐殺された。やがて国家権力の暴走の矛先は「自分は共産党でも無産政党でも、進歩的発言をする人間でもないから大丈夫だろう」と思っている“傍観者”にも及んでいく。

 

「矜持」では最初の「雲雀」のときから登場している内務省の参事官で、特高警察を指揮する“クロサキ”という男の視点で描かれる。

東京帝大出身のエリート官僚の“クロサキ”だが、彼は哲学者の三木清と同郷。子どものころから三木の天才ぶりを聞かされ、哲学者となった三木のすごさに驚嘆している。だが、刑務所に押し込んでも矜持を持ち続ける三木に敗北の思いを抱きつつ、大日本帝国に尽くす内務官僚として、最後の良心さえ捨て去るのだ。

そういえば今どきの官僚だって・・・?