月曜日(敬老の日)朝の善福寺公園は曇り。けさも涼しい朝。きのうの雨のあとが残っている。
けさのカワセミは上池に1羽。
ほかにも鳴き声は聞こえたが姿は見えず。
羽化したばかりのセミがジッとしていた。
鳴き声はしなくなったが、まだ羽化するのもいるのか。
カマキリがダラ~リとぶら下がっている。
けっして虚脱状態なのではなく、こうしてスキを見せるようにしてしっかりとエサをねらってるんだろうが。
フヨウの葉に何匹ものハートマークの幼虫。
フタトガリコガヤ(双尖小夜蛾)の幼虫だ。
葉の上にいるのはクサギカメムシの幼虫のようだ。
ネットで調べると「黒褐色の格子模様でトゲトゲがあり」と書かれているが、この幼虫はさほど尖ったトゲはない(頭部近くにチョッとだけ)。
成虫になるとトゲはなくなるから、終齢の5齢幼虫だろうか。
背中の模様が中世の騎士の盾みたいに見えて、なかなかカッコイイ。
キチョウか。
葉っぱのお皿?の上にバッタ。
ヒガンバナが一斉に咲き出した。あす22日は秋分の日。ヒガンバナはお彼岸のころになると必ず咲くといわれるが、今年もその通りになった。
しかし、普通、花が咲くときは繁った葉っぱが気温や日照の変化を察知して開花に至るものだが、ヒガンバナは花が咲くときに葉っぱは出てなくて、地中からいきなり花茎が伸びてきて数日して花が咲く。
じつはヒガンバナは、土中にある花芽が温度の変化だけを感じて季節を知り、花茎を出すといわれている。もの凄い感知能力だ。
しかも日本のヒガンバナはほぼすべてが三倍体(染色体の組が3組で構成されている)となっていて、減数分裂ができないために交雑ができず、種子もできない不稔性の性質を持っているという。
種子をつくらないかわりに土の中で球根をつくり、地下茎を伸ばして繁殖していく。
それなのに、不思議なことにヒガンバナは雄しべ、雌しべもあり、蜜も出す。
風媒であろうと昆虫に花粉を運ばれる虫媒であろうと、種子がつくれないのだから雄しべ、雌しべも花の蜜も必要ないと思うのだが、ちゃんと種子をつくる植物と同じメカニズムを持っている。これはなぜか?
もともとヒガンバナは中国原産で、古い時代に日本に持ち込まれた有史以前帰化植物の1つとされているが、中国のヒガンバナは二倍体で種子ができるのだという。中国にあったときのもともとの体のつくりの痕跡が残っていて、雄しべ、雌しべがあり蜜も出すのはその名残なのだろうか。
ヒガンバナが出す蜜は痕跡でしかないことを虫たちは知っているのか、ヒガンバナを訪れる昆虫はほとんどんいない。
ただ、アゲハチョウだけはヒガンバナに頻繁に訪れる。これも不思議なことだ。
ヒガンバナが彼岸のころになると決まって咲く、というのも種子をつくらないことと関係がありそうだ。種子をつくらないということはだれかが球根を植えてやらなければ広く繁殖するのも不可能だ。だから、人によって人為的に広められたからこそ、あちこくでヒガンバナは咲いている。こうして株分けによって広がって至ったがゆえに、同一の遺伝子を持つようになり、どこでも同じような時期に一斉に花を咲かせるようになったのではないだろうか。
やはり同じ遺伝子を持つサクラのソメイヨシノが一斉開花するのと似ている。
わが家のアサガオは今が満開。