歌舞伎座九月大歌舞伎第3部「双蝶々曲輪日記 引窓」を観る。
8月の花形歌舞伎をコロナ禍での中断以来半年ぶりで観たが、あれは舞踊中心で小手調べという感じ。
今月のは本格的な歌舞伎演目、というわけで、感慨深かった。
コロナの影響が続いていて、入場時には観客自らキップの半券を切って、手指の消毒と検温。
売店は休みだし、座席は前後左右が空いているので、いつもの満員の熱気はない。
前から3列目の席だったので、1列目はそもそも発売してないため座席の前はだれもいなくてほとんど最前列状態。舞台全体も、役者の顔もよく見えた。
演目は、先月に続いて今月も幕間を設けない4部制で、きのう観たのは第3部の「双蝶々曲輪日記 引窓」。
親子兄弟の義理と人情の葛藤を描いた名作だ。
9月はいつも初代吉右衛門の俳名を冠した「秀山祭」なのだが、今回は「秀山祭」とは銘打たず、秀山ゆかりの狂言として上演されたのが「引窓」。
配役は、濡髪長五郎に吉右衛門、南与兵衛に菊之助、女房お早に雀右衛門、母お幸に東蔵ほか。
「引窓」はなかなかよくできた芝居で、私の好きな演目の1つ。日光を取り入れるために屋根に設けられて下から縄を引いて開閉する引窓が効果的に使われていて、クライマックスで重要な役割を果たす。最後のセリフがまたいい。
もともと文楽の作品で、6年ほど前に国立劇場で文楽の通し狂言を観ているし、「引窓」単独でも、4年前に京都の暮れの「顔見世興行」(この年は南座は工事中で先斗町の歌舞練場)で仁左衛門の南与兵衛を観た。
濡髪長五郎(吉右衛門)は怪力無双の相撲取りだが、恩義のある人のために侍を殺め、今はお尋ね者となって逃げ回る身。彼には幼いときに別れ別れとなった実の母(東蔵)がいて、せめて一目だけでもと会いに行くのだが、実の母は今は義理の息子である与兵衛夫婦(菊之助と雀右衛門)と一緒に暮らしている。
与兵衛の父親はすでに亡くなっていたがもともと代官をしていて、その父親の名を継いで与兵衛は晴れて代官に取り立てられる。長五郎が義母の息子であることを知らない与兵衛にとって、初の仕事がお尋ね者となった長五郎の逮捕だった。 ただし、夜間の探索は与兵衛が務め、日中は別の者が長五郎を追うという決まりで、それが物語の結末の大きな伏線となる。
明日は放生会(ほうじょうえ、殺生を戒めるため鳥などの生き物を放す儀式)という陰暦8月15日(中秋の名月)の前日。こっそり長五郎が訪ねてきて、瞼の母との対面。実の子どもを守ろうとする母に対して、事情を知った長五郎は義理の息子に手柄を立てさせるため、自分を捕まえるように説得する。 2人の子の間で揺れる母の心を東蔵が見事に演じる。
長五郎の吉右衛門もさすがの演技。ちょっとした動きも含め、すべてがサマになっている。
菊之助は初役で与兵衛。
町人でありながら侍に取り立てられた若者らしい喜びを弾むように演じていた。
そしていよいよクライマックス。
母は泣く泣く引窓の縄で息子を縛り上げる。 実の親子のやりとりを陰で聞いていた与兵衛は姿をみせると、「でかした」といいながら「引窓の縄は3尺残して切るが古例」とスラリと抜いた刀で縄を切ると、長五郎を縛った縄はほどかれ、窓が開いて月が差し込む。
明るくなったのをみた与兵衛、「南無三、夜が明けた。身どもが役は夜の内ばかり。明くれば即ち放生会。生けるを放すところの法。恩に着ずとも勝手に往きやれ」と長五郎を解放しようとする。
そこで鳴り出す時の鐘。
九ツ(真夜中の時刻)を打つのを六ツ(日の出の時刻)聞いて、「残る三ツは母への進上」といって長五郎を助けるのだった。
見ていてうしろの席で泣いている人もいた。
久々に感動した歌舞伎の舞台だった。