善福寺公園めぐり

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きのうのワイン+映画「炎のランナー」

イタリア・シチリアの赤ワイン「パルヴァ・レス・ネロ・ダーヴォラ(PARVA RES NERO D’AVOLA)2018」f:id:macchi105:20200708170701j:plain

ワイナリーはシチリア島マルサラ地区でワイン造りを行うカルーソ・エ・ミニーニ。

マルサラはシチリアの最西端。パレルモから車で約1時間半ほどのところにある。

ネロ・ダーヴォラというシチリア原産のブドウを100%使用。

果実のアロマと柔和なタンニンが溶け合った飲みやすいワイン。

 

ワインの友で観たのはNHKBSで放送していたイギリス・アメリカ合作の映画「炎のランナー」。

1981年公開。

原題は「Chariots of Fire」。直訳すれば「炎の戦車」となり、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの詩からとられたという。

監督ヒュー・ハドソン、出演ベン・クロス、イアン・チャールソン、イアン・ホルムほか。

 

1924年のパリ・オリンピックの陸上100mと400mで金メダルを獲得した2人のイギリス選手を描いた作品。いずれも実在の人物だ。

1人は富裕なユダヤ系銀行家の息子ハロルド・エイブラハムス。ケンブリッジ大学に入学するが、ユダヤ人であるため周囲からは差別と偏見を受けており、その鬱憤をぶつけるように陸上短距離走でトップアスリートとなることをめざす。

もう1人はスコットランド長老派教会の司祭補エリック・リデル。彼は「神のために走る」を信条としている。

 

この映画は、単に2人のランナーの活躍を描くのではなく、イギリス陸上界における王室を中心とする有力貴族グループによる権威主義を痛烈に風刺したもので、そこが痛快だった。

たとえば、アマチュアリズムに凝り固まっていたのがイギリスのオリンピック委員会や陸上の競技団体。しかし、彼らが執着するアマチュアリズムとは自分たちの優越性を誇示するものにほかならなかった。なぜなら、当時のイギリスにおいてスポーツとは、裕福な貴族・エリート階級が下層階級ではできないような余暇の楽しみとして行うものだったからだ。

これに対して、もうそのころから、アメリカではスポーツを職業にしようとする動きが高まっていて、イギリスのエリート階級はそれを「アマチュアリズムを汚すもの」といって嘲っていたのである。

 

ところが、ハロルドは勝利のためにプロのコーチの指導を受ける。これに猛反発したのがイギリス陸上界のお偉方で、ハロルドが100mに出場したとき、コーチは競技場に行くことを許されず、ホテルの窓からイギリス国歌を聞き、ユニオンジャックの旗が上がるのを見て感涙にむせぶのだった。

コーチ役をしたイアン・ホルムの演技が秀逸。

彼は「エイリアン」ではアンドロイドのアッシュ、「ロード・オブ・ザ・リング」では主人公フロドの養父役をしていて、一瞬、欲にまみれた怖い顔をしたのが今も記憶に残る。

いずれにしてもハロルドは、イギリス陸上界をあざ笑うようにプロのコーチによる特訓で力をつけ、優勝したのだった。

 

一方の「神のために走る」エリックは、100m予選の日が日曜日の安息日にあたるため、出場を辞退しようとする。

お偉方たちは「祖国と国王への忠誠のため出場すべきだ」と説得し、「神より王のほうが偉い」とまでいうが、「神に勝るものはない」と拒否し、400mに出場して優勝する。

 

本作は、ハロルドとエリックという2人の異端児ランナーが、旧態依然としたイギリス・エリート階級に挑戦し勝利した物語といえるかもしれない。

 

この映画のテーマ曲は公開当時日本でもヒットし、今もときどき耳にする。

作曲・演奏のヴァンゲリスは「ブレードランナー」(1982年)の音楽も担当していて、エンド曲なんか名曲だ。

 

映画の最後に、エリックは宣教師として中国に渡るが、その後、中国で亡くなったと字幕に出ていた。

彼は1925年に大学を卒業したあと、両親と同じ宣教師として中国に渡り、布教活動を行うが、やがて第2次世界大戦が勃発。43年に日本軍の捕虜となって収容所に入れられる。ほかの人との交換で釈放されるという話もあったが、彼は断り、一人の妊婦にその権利を譲ったという。収容所での生活中、横暴な日本兵に怒りを覚えた英国人少年に彼は「迫害する者のために祈りなさい」というキリストの言葉を伝え、「怒りは君中心の人間にするが、祈るときには神中心の心になる」と諭したという。

そして、45年2月、終戦まであと半年とうときに、山東省の収容所で病死したという。

戦争さえなければ、と思う。

 

ちなみにパリ大会にはNHK大河ドラマ「いだてん」の主人公である金栗四三もマラソンに出場。残念ながら32・3km地点で途中棄権に終わっている。