2日目は平野神社→北野天満宮→泉屋博古館→南禅寺というコース。
東京でソメイヨシノが開花し、サクラの季節。ソメイヨシノはまだ早いが、早咲きのサクラでも見ようかと京都のサクラの名所の1つ、北区の北野天満宮そばにある平野神社へ。
ここのサクラは約60種類もあって、早咲きから遅咲きまで長期間サクラを楽しむことができるという。
魁というシダレサクラが満開だった。
「このサクラが咲くと京都の花見が始まるといわれている」と案内板に書いてあった。
とても立派な樟(くすのき)があった。この神社のご神木で、幹まわり4・85m、樹齢400年ほどと伝わっているとか。
その後はバスで北区から鴨川を渡って左京区にある泉屋(せんおく)博古館へ。
泉屋博古館は、住友家第15代当主・住友春翠が蒐集した美術品を中心に設立された美術館。
泉屋とは江戸時代の住友の屋号だという。住友の屋号は「井桁」のマークかと思ったら、そもそもの由来は1590年(天正18年)、つまり今から430年も前に住友家の祖先が銅の精錬・細工の店をおこし、屋号が泉屋だったので、「いずみ」をあらわすものとして井戸を意味する井桁マークを商標としたのだそうだ。
祖先というのは大阪出身の蘇我理右衛門という人で、若くして銅吹き(銅精錬)、銅細工の技術を堺で習得し、戦国時代の戦乱が終わり秀吉が全国統一を果たした天正18年、19歳で京都寺町五条に銅吹きと銅細工の店を開業、「泉屋」と称したのが住友の始まりという。
きのうは三井家の別邸を見て、きょうは住友家の美術館。何だか旧財閥つながりの2日間。
住友家の美術品で最も有名なものが、住友春翠が明治中ごろから大正期にかけて蒐集した中国古銅器と鏡鑑。中国以外では質量ともに最も充実したコレクションとして世界的にも高く評価されている。
開館60周年記念名品展としてモネをはじめとする絵画コレクションの展覧会と、「中国青銅器の時代」展が同時開催されていたが、当然注目は中国の青銅器。
中国の青銅器の歴史は新石器時代にまでさかのぼり、最も古い時代の青銅器は、打ち叩いてつくられるもの以外にも、型を用いてそこに溶けた青銅を注いで鋳造したものが早くもつくられていたという。
その後、陶土を用いた複雑な型を用いて、入り組んだ構造の青銅器がつくられるようになっていった。
そうした青銅器の多くは、神に捧げるための酒や食物の入れ物として用いられた。すなわち、中国の青銅器は神々の祭祀に用いられる儀礼用器(礼器)として始まり、発展していったという。
青銅器の展示室に入ってまず目に飛び込んできたのが「夔神鼓(きじんこ)」という青銅製の太鼓。紀元前12~11世紀の商時代後期のもの。高さ82㎝。
両面に鰐皮を張っているのを青銅で表現しているが、全体を3~5mmほどの厚さで薄く造っていて、当時の鋳造技術がきわめて高かったことを示す名品という。
酒を温めるための器に付けられた2本の柱は鳥の形をしていて、のちの鳳凰の原形という。
翼の生えた獣の像。
カエルの文様。
夔神鼓と並ぶ名品の1つ、「虎卣(こゆう)」。紀元前11世紀の商時代後期。
大きな口を開けた虎が後脚で立ち、人間を抱きかかえている。
釣手を持つ酒を入れる器で、虎の頭上に鹿が立っているが、これが蓋のつまみで、ここから酒を出し入れする。
いずれも鳥をかたどっているのか。
龍の文様。口から火を吹いている。
これも龍の文様か。
象形文字。
鳳凰の文様。
いやー、おもしろい展示だった。
つづく。