善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

シルクロード・路上の900日

大村一朗『シルクロード路上の900日 西安・ローマ1万2000キロを歩く』(めこん)を読む。
図書館の新着図書のコーナーに置いてあったので手にとる。奥付を見たら2004年発行とあり、けっこう古い本だった。
620ページからなる分厚い本だったが、日記風なので読みやすく、中身もおもしろかった。

題名の通り、西安からローマまで、かつてのシルクロードを徒歩で横断した記録。筆者は大学卒業後、24歳のときに旅に出て、ローマ到着は26歳のころ。若いっていい。

それにしてもなぜ「歩く」だったのか。歩くというのは人間の移動手段の原点であり、基本だから、そこにこだわったのだろう。途中、「車に乗せてやろうか」との誘いにも頑として応じず、A型肝炎にかかって一時離脱を余儀なくされたときも、養生のためインドあたりでブラブラして、また元の位置に戻ったという。
難関は国境を越えるときで、徒歩での国境越えはいろいろ困難が伴ったという。一度だけ、トルクメニスタンからイランに入るときはどうしても陸路でのイラン入国ができなくて、いったん空路で入国し、歩くべきルートの国境まで戻って歩き始めたという。

零下何十度にもなる冬の徒歩旅行はかなり大変だったに違いない。それでも、かつてのシルクロードの名残りは今も残っていて、だいたい人間が1日に歩く距離である30キロごとに、かつての隊商宿(キャラバンサライ)のような宿っぽいものは今もあるのだという。
もちろん歩けど歩けど家の明かりはまるで見えず、テントを張ってキャンプしたことも多かったようだ。
そのような場合は、決して一目につかないよう、慎重に場所を選んだという。
何しろ異国の、しかも見知らぬ場所。いつ眠っているところを暴漢に襲われるかもわからない。しかし幸いキャンプ中に被害にあうことはなかったらしい。

逆にイスタンブールのど真ん中で、まんまとだまされて睡眠薬強盗にあい、九死に一生を得たといっていた。

本を読んでいると、旅をしながら筆者が自問自答している。
自分は何のために旅をしているのか。
その自問自答に、旅をしていない読者もまるで自分のことのように考えさせられた。
旅をしていないわれわれだって、「人生」という旅の途中だからからかもしれない。