善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

コーカサス3国旅行記⑨

コーカサス3カ国の旅6日目の15日(水)昼は、ガルニ村にある農家風レストランで食事。
ここでアルメニア伝統のパン「ラバッシュ」づくりを見学。
ラバッシュは昨年、日本の和紙とともに世界無形文化遺産に登録された。
小麦粉を水でこねたのを薄くのばし、釜で焼いたもの。ナンやトルテーヤに似ている。
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昼食は初めて魚が出た。マスを開きの形にして焼いただけのシンプルな調理法で、これに香草を加えてラバッシュで巻いて食べるとチョーうまい!
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デザートはサクランボの山盛り。
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昼食は野外の木の下で食べたが、上から次々と降ってくるものが・・・。何と熟したサクランボの実だった。
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昼食後は山中の岩をくり抜いて建てられたゲガルト修道院へ。
途中の土産物屋で見たミツバチの巣入りのハチミツ。見事に六角形をしていた。
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サクランボの実のシロップ漬けも。左は桑の実漬け。
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断崖絶壁の山のふもとにあるゲガルト修道院
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ゲガルトとは「槍」の意味。キリストの脇腹を刺したといわれる槍がこの修道院に隠されていたといわれる(現在はエチミアジン大聖堂に収蔵)。
ゲガルト修道院の創建は4世紀にさかのぼり、岩場に張りつくように建っていて、まるで洞窟寺院のようになっている。
ちょうど若い男女の洗礼式が行われていて、付き添いの女の子がきれいに着飾って参列していた。
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続いて訪れたのはガルニ神殿。アルメニアに残る唯一のヘレニズム建築という。
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この神殿はキリスト教誕生以前の紀元前3世紀から後3世紀ころまで、太陽神ミトラの神殿として使用されていたという。
アルメニアキリスト教が伝えられる以前、人々はミトラ教を信じていたのだ。
ミトラ教はもともとペルシャあたりで信仰されていたといわれるが、ヘレニズムの東西文化の融合の中で地中海世界に入っていき、ローマ帝国の治世下で大発展を遂げ、のちのキリスト教にも大きな影響を与えた。
たとえば、キリスト教ではイエスの誕生日を12月25日としているが、もともと12月25日は太陽神ミトラの誕生日で、イエスは本来1月6日に生まれたといわれている。12月25日は冬至のころで、冬至こそは太陽が成長を開始する日、つまり太陽の誕生日であり、キリスト教ミトラ教に習合する形で(あるいはミトラ教に取って代わる形で)12月25日をイエスの誕生日とするようになった。
日曜日は休日で礼拝の日というのも、もともとミトラ教にとって日曜日は太陽を崇める日であった。

ガイドさんによると、アルメニア使徒教会の祭壇は東に向いているが、ガルニ神殿の祭壇は西を向いていて、入口は北向きという。
春分の日とか秋分の日には天井の穴から光が差し込み、入口に置かれた鏡に反射して太陽が祭壇を明るく照らす仕組みになっていたという。
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アルメニアキリスト教ミトラ教を廃絶することなく、融合する形で広まっていったようだ。その証拠に、教会や修道院には太陽を示す日輪のマークが今もあちこちに残っているという。

その話を聞いて、去年訪れたアイルランドでのキリスト教の広まり方を思い出した。アイルランドでも古代信仰として太陽信仰があった。キリスト教は太陽信仰を否定するのでなく、巧みにその信仰を取り込んで普及していった。
アイルランドの十字架は、日輪と十字架を組み合わせた独特の形をしている。

なお、ガルニ神殿は16世紀の地震によって倒壊してしまい、20世紀になって修復された。