内容は──。
ときは万寿二年(1025年)、平安時代の爛熟期。物売女、没落貴族、主をうしなった女房、貴族の不良少年、太宰府がえりの元勇将は、腐った世をはかなんでいる。ひょんな縁で時の実力者・藤原実資の邸宅・小野宮第に集まった彼らは、人喰い鬼よりも怖い敵に力を合わせて対峙することに――。
ときは万寿二年(1025年)、平安時代の爛熟期。物売女、没落貴族、主をうしなった女房、貴族の不良少年、太宰府がえりの元勇将は、腐った世をはかなんでいる。ひょんな縁で時の実力者・藤原実資の邸宅・小野宮第に集まった彼らは、人喰い鬼よりも怖い敵に力を合わせて対峙することに――。
読んでいてヘーッと思ったのは次の箇所。
主人公の一人、貴族の少年が屋敷に引きこもっているところ。
「どこへも出かけず、客もいないのに、日に何度も着替えをさせられる。それとても、脱いだ衣服を使用人に下げ渡すためだと聞けば、いやとはいえない」
主人公の一人、貴族の少年が屋敷に引きこもっているところ。
「どこへも出かけず、客もいないのに、日に何度も着替えをさせられる。それとても、脱いだ衣服を使用人に下げ渡すためだと聞けば、いやとはいえない」
ええ?平安時代の貴族は洗濯をしなかったの?
実際のところ、宮中の皇族や高級貴族は自分が着た衣服を洗わなかったという。というより洗濯するという習慣がなかった。では、着古した着物はどうしたかというと、小説にある通り、使用人とか下級貴族に下げ渡していたというのだ。
当時、衣類は丸洗いするということはなかった。というより不可能だった。洗濯するにはどうしたかというと、縫い目をほどいてバラバラにして、もとの反物にしたのを洗って、乾かして縫い直してまた着たのだという。
そういえば日本人が着物を着ていた少し前までの時代(戦後しばらくまで)、「洗い張り」というのがあった。これは着物をほどいて元の1枚の反物にしたのを洗ったあと、板に張って糊づけして乾かす方法で、洗い張りのあと再び着物に仕立て直して着たものだ。こうすれば何十年も着続けることができた。
昔の人の知恵だろうが、それにしても平安貴族は何という贅沢をしていたか。
昔の人の知恵だろうが、それにしても平安貴族は何という贅沢をしていたか。
もうひとつ、「穢れ(けがれ)」の思想が背景にあったかもしれない。
たとえ自分が着たものでも、一度でもバッチくなったものは汚いもの、けがらわしいものとして遠ざけようとしたのだろうか。
たとえ自分が着たものでも、一度でもバッチくなったものは汚いもの、けがらわしいものとして遠ざけようとしたのだろうか。
当時は(今もかもしれないが)出産だって「穢れ」とされたから、御所内での出産は許されなかったという。一般社会でも「里帰り出産」というのがあるが、元をたどればそれが理由だったのかもしれない。