善福寺公園めぐり

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トーマス・シーリー ミツバチの会議

トーマス・シーリー『ミツバチの会議』(片岡夏実訳・築地書館)を読む。
原題は『HONEYBEE DEMOCRACY』。
著者は1952年生まれ。ハーバード大学でミツバチの研究により博士号を取得。現在はコーネル大学生物学教授。

ミツバチは春の終わりから夏のはじめにかけて「分蜂」という行動をする。
ミツバチは大家族で散らしていて、1つの巣にはたった1匹の女王蜂、数100匹の雄バチ、それに数万匹の働きバチ(雌バチ)がいて集団で生活している。
巣がハチで一杯になると、それまでいた女王蜂は新しく生まれる女王蜂にその座を譲り、ほぼ半分のハチたちとともにいっせいに巣から離れ、別の新しい巣をみつけてそこに移住する。これが分蜂であり、分封ともいっている。
ミツバチにとって種族繁栄のための行動であり、これなしに種の保存は成り立たないから、何より大切なミツバチにとっての“年中行事”だ。

筆者によれば、新しい巣をどこに決めるか、群れにとって生死にかかわる選択を、ミツバチたちは民主的な意思決定プロセスを通して行い、常に最良の巣を選び出しているという。
分蜂群には数100匹の探索バチがいて、いくつもの候補地を見つけてくるが、その中からどれがもっとも理想的な巣作りの場所か、議論によって決定するというのだ。

もちろん、ミツバチは人間のような言葉を持たないから、議論は“尻振りダンス”によって行われる。

その議論とは、すべての提案が平等に検討され、最終的にもっとも優れた案に話がまとまると、みんなしていっせいに飛んで行く。

興味深かったのは、ミツバチの群れにはリーダーはいない(よく女王蜂がリーダーと思われることがあるが、女王蜂は卵を産むだけの役割しかなくて、巣の統率にはいっさい関知していない)。それなのによく統率のとれた議論と、それにもとづく意思決定ができるなあ、と思ってしまう。
筆者によれば「リーダーなしに機能することで、探索バチはよい集団意思決定を脅かすもっとも大きな要因の1つ、独裁的な指導者をうまく避けているのだ」という。
この点は、人間社会にとってもとても参考になる話で、「リーダーなしの意思決定」について、大いにミツバチから学びたいところだ。

ただし、本書とは違うが日本のミツバチ研究家、坂上昭一氏は、ミツバチの集団は司令なき集団であるがゆえに、その行動は非能率である、というような意味のことを述べている。
あるいは、民主的プロセスとは、たしかに非能率であるのかもしれない。しかし、多少、時間がかかってもメンバーたちが満足する最良の意思決定が得られるのであれば、非能率もまたいい、といえるのではないか。

それはそれとして、小さな虫にすぎないミツバチが、高い集団的知能を発揮しているのは驚かされる。
そして、そんなミツバチの生態を、何万匹もいるハチの中から1匹1匹を選り分け、朝から晩まで何日もかけて注意深く観察し、実験を繰り返す筆者の地道な努力にも驚嘆してしまう。
読んでいてもこのあたりがおもしろい。
大変ではあろうけども、その苦労がまたフィールドサイエンスの醍醐味なんだろうね。