善福寺公園めぐり

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犬の伊勢参り──人と犬の不思議な関係

仁科邦男『犬の伊勢参り』(平凡社新書
人と犬の不思議な関係を説き明かす本。

「明和8年(1771)4月、犬が突如、単独で伊勢参りを始めた。以来、約100年にわたって伊勢参りする犬の目撃談が数多く残されている」
と本書の宣伝文句にある。えー?そんなことってあるの?と手に取った。
明和8年とは徳川家治の時代。翌年、田沼意次が老中となる。

かの司馬遼太郎は“常識人”らしく、頭から信じなかったらしいが、犬の伊勢参りは実際にあったらしい。
それも1匹や2匹ではない。目撃談が数多く残されている。無事にお参りを果たして帰って来てほめられた犬の記録もある。
犬が伊勢まで行って帰って来た。それは事実らしいのだが、犬が自分の意思で、伊勢参りをしたくて行ったわけではない。では、なぜ犬は伊勢参りに行ったのか、この点を解明しようとしたのが本書のねらいといえようか。

江戸時代のころ、庶民にとって伊勢参りは「一生に一度できたらいいな」という夢でもあった。それを犬に託した、ということもあるだろう。
また、民衆のエネルギーの発露として御蔭参りとか抜け参りというのがあった。
ある特定の年に(60年周期とかいわれるが)、伊勢参りが熱狂的に行われ、多くの民衆が伊勢へと押し寄せた。
慶安3年(1650)、宝永2年(1705)、明和8年(1771)、文政13年(1830)の各年がその代表的な年で、奉公人などが主人に無断で参詣の旅に出たりした。それで抜け参りともいわれるが、その規模は想像を絶するもので、本書によれば、明和8年の参詣者は400万人をかなり超えていたという。
当時の日本の総人口は3000万人前後といわれるから、実に1割以上。大変な数だ。ホントかしら? ホントなんだろうが。

江戸時代末期には「ええじゃないか」という民衆運動もあった。
これは近畿、四国、東海などで主に発生したものらしいが、「天から伊勢神宮のおフダ(神符)が降ってくる」という話が広まり、「ええじゃないか」というはやしことばを連呼しながら大勢の民衆が踊ったりしながら練り歩いたという。その勢いで伊勢までお参りに行った集団もあっただろう。
たとえ奉公先から抜け出しての抜け参りであろうが、沿道の人々は、信心の旅というのでカネを持たない参詣者への施しを行ったという。
犬がたまたま街道を歩いていれば、それも参詣にきたとされて順送されたこともあっただろう。

現代では犬には飼い主がいるのが当然と思っているが、江戸時代の犬は多くは特定の飼い主などなく、横丁や長屋の路地、縁の下、村のお堂や藪の中などに住みついた“町の犬”“里の犬”だったという。養っているのは特定の個人ではなく、村里だった。
日ごろは放し飼いで、町の犬、村の犬として暮らしていて、野良犬とは違っていた。

同じ光景を何年か前、ブータンに旅したとき、ブータンの町々で見た。この国にも犬が多くいて、みんな放し飼いだった。特定の飼い主はいなくて、町の住民に飼われているという感じだった。どの犬ものんびりしながら昼間はあちこちで寝そべっている。決して人に危害を加えることはない。ところが、夜中になるとワォーン、ワォーンと吠える声が聞こえる。
地元の人の話だと、「夜になると吠えるのが犬たちの仕事。イノシシやシカが山から下りてくるのを防いでいる」ということだった。なるほどブータンでは人間と犬は共存して暮らしていた。

江戸時代の日本の人間と犬も同じような関係だったのだろう。
その中の1匹に伊勢参りのおフダをくくりつけて街道に放てば、道を行く人に連れられたりして伊勢をめざすこともあり、それが伊勢参りの犬となったのではないか。

猟犬のように飼い主との主従関係がハッキリしている犬だったら、たとえ連れ出したとしてもすぐに飼い主のもとに戻っただろうが、町の犬、村の犬だったらそんな“こだわり”はない。人についてまわるのが好きな犬もいて、そんな犬はまさに伊勢参り向きの犬だったに違いない。

結局のところ、犬に信仰心があったわけではなく、当時の人々の伊勢に対する信仰心が、犬を伊勢に向かわせたのだろう。

あとがきで筆者はこう書いている。
「人の心の動きが犬たちの行動に投影される。『これは伊勢参りの犬だ』と人々が認識しない限り、犬は伊勢に向かうことも帰ることもできない。犬たちは周りの人たちが期待しているように行動すれば、あるいは人と一緒にずっと歩いていれば、やがてうまいものにありつけることも知っていたように思われる。それを『お参り』という行為に結びつけて解釈したのは人間である。犬の伊勢参りは人の心の生み出した産物でもあった」