善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「ハート・オブ・ウーマン」「街のあかり」「幸福」

イタリアの赤ワイン「キュソラ・シラー・メルロ(CUSORA SYRAH MERLOT)2020」

(下の写真は桃と生ハム、トマトのカッペリーニ

「キュソラ・シラー・メルロ」はイタリア・シチリア島のカルーソ・ミニーニがつくる赤ワイン。

地中海の中央に位置するシチリア島は燦々と降り注ぐ太陽と温暖な気候に恵まれ、紀元前7世紀のころからワインづくりが行われていて、生産量はイタリアでトップを争うほどという。

シラーとメルロを半々ずつブレンドし、エレガントでバランスのとれた味わい。

 

ワインの友で観たのは、民放のBSで放送していたアメリカ映画「ハート・オブ・ウーマン」。

2000年の作品。

原題「WHAT WOMEN WANT」

監督ナンシー・マイヤーズ、出演メル・ギブソンヘレン・ハントマリサ・トメイ、ローレン・ホリーほか。

 

大手広告会社でクリエイティブ・ディレクターとして働くバツイチのニック(メル・ギブソン)は、自他ともに認めるプレイボーイ。男としての自信に満ちていて、女心なんか理解してないばかりか、女性を見下している。

ところが彼は、他社からヘッドハンティングされた女性ディレクター、ダーシー(ヘレン・ハント)に狙っていた部長の座を奪われてしまう。

憤懣やる方ないニックだが、ある日のこと、ニックは自宅の風呂場で転倒したのがきっかけで、周りにいるあらゆる女性の考えていることが声となって聞こえるようになる。

彼は他人に弱味を見せないダーシーの心の声を図らずとも聞いてしまい、彼女が口にするよりも早く彼女が考えたナイキの女性向け商品の企画提案を行い、それが見事採用される。彼の評価は急上昇し、逆にダーシーはクビになってしまう・・・。

 

最初はただのラブストーリーかと思って見ていたが、女性の気持ちがわかるようになってからのニックの変容ぶりが興味深い。

女性が今、何を考えているかがわかることで、彼女らが置かれている地位の不当な低さにニックは気づかされるのだ。

ニックは女心をわかることを利用してますます女性を見下すのではなく、その不当な扱いを許せない気持ちに変わっていく。そこのところが重要で、相手の気持ちがわかるというのは、相手の立場に立って物事を考えるということなのだ。

原題の「WHAT WOMEN WANT」は、直訳すれば「女性が望むもの」といった意味か。20年以上前の映画だが、現代社会においても突きつけられたこのテーマは変わっていない。

 

バックに流れる音楽が懐かしいジャズのスタンダード・ナンバーのオンパレード。

フランク・シナトラやサミー・デイビス・JRの曲もあったが、心地よかったのがボビー・ダーリンの「マック・ザ・ナイフ」。

もともとベルトルト・ブレヒト作「三文オペラ」(1928年初演)の劇中歌で、作曲はクルト・ヴァイル。ルイ・アームストロングほかいろんな人がカバーしたが、ボビー・ダーリンのバージョンは全米第1位を9週間記録する大ヒットとなった。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のBSで放送していたフィンランド映画「街のあかり」。

2006年の作品。

監督・脚本・製作アキ・カウリスマキ、出演ヤンネ・フーティアイネン、マリア・ヘイスカネン、イルッカ・コイヴラ、マリア・ヤンヴェンヘルミほか。

 

先日、アキ・カウリスマキ監督の「過去のない男」を観たが、彼は“敗者三部作”と呼ばれる3本の映画をつくっていて、「過去のない男」はその第2作。「街のあかり」は最終章となる映画だった。

極力、動きとセリフを抑えた演出は“カウリスマキ調”といえるもので、かえって深い余韻を残す。

 

ヘルシンキの街の片隅で生きるコイスティネン(ヤンネ・フーティアイネン)。百貨店の夜警をしているが、恋人も友人もいない孤独の日々を送っている。

ある日、カフェで一人でいるところを魅力的な女性ミルヤ(マリア・ヘイスカネン)から声をかけられ一目惚れ。しかしミルヤは百貨店内の宝石を盗もうと企む悪党の手先であり、ボスの情婦だった。

まんまと利用されたコイスティネンだったが、ミルヤをかばって服役する。やがて刑期を終えて社会復帰したコイスティネンは、悪党のボスとミルヤが一緒にいるところに遭遇。自分が利用されていたにすぎないことを知る。それでも容赦しない悪党連中はコイスティネンに瀕死のケガを負わせてしまう。

そんなコイスティネンに駆け寄ったのは、なじみのソーセージ売りの女性アイラだった。アイラはコイスティネンに思いを寄せていたが、彼は気づかぬまま。彼の裁判にも傍聴に訪れ、服役中も手紙をくれたアイラだったが、その一途な思いをようやく知ったコイスティネンだった。

 

徹底的に“負け犬”で終わる映画。馬鹿正直でだまされやすい男は、悪党のボスの情婦にだまされ、手下どもにはボコボコにされて、宝石泥棒という無実の罪を着せられたまま、映画は終わってしまう。

しかし、ラストシーンで、駆けつけたアイラの手に触れるコイスティネンの手のショットを見たとき、この映画はチャップリンの「街の灯」のオマージュだと気づいた。

題名からして「街のあかり」だ。

原題の「Laitakaupungin valot」はフィンランド語で「郊外(街はずれ)のあかり」という意味があるらしいから、邦題もそれにならっている。

チャップリンの「街の灯」は、浮浪者チャップリンが盲目で薄幸の花売り娘を救おうと奔走し、最後は目が見えるようになって花屋を開いた娘と再会。娘はチャプリンと手と手が触れることで、恩人だったことに気づくという物語。

「街の灯」のチャップリンは「街のあかり」ではソーセージ売りアイラであり、薄幸の花売り娘はコイスティネンだったのではないか。そしてアイラこそ、孤独で陰の薄い男を照らしてくれる「街のあかり」だったのだ。

 

映画では、飼い主から食事も与えられずに虐待され、助けてくれたコイスティネンを慕うようになる犬が出てくるが、この犬の“負け犬”の演技?が秀逸。

前作の「過去のない男」にハンニバルという名前の犬が出ていて、猛犬というわりにはおとなしくて人なつこかったが、その犬(タハティという名前のメス)の子どものパユという俳優犬だそうだ。

 

さらについでに、ワインの友ではないが、土曜日に銀座メゾンエルメス10階にあるミニシアター「ル・ステュディオ」で観たフランス映画「幸福~しあわせ~」。

同シアターではその年のテーマごとに映画を上映していて、2022年のテーマは「もっと軽やかに」。7月は印象派の絵画を思わせる田園風景を背景に男女の機微を鋭く描いた作品。

1964年の作品。

 原題「Le Bonheur」

監督・脚本アニエス・ヴァルダ、出演ジャン=クロード・ドルオー、クレール・ドルオー、サンドリーヌ・ドルオー、オリヴィエ・ドルオーほか。


パリ郊外のフォントネ。平凡だが実直な建具屋フランソワ(ジャン=クロード・ドルオー)は、美しく裁縫が得意な妻テレーズ(クレール・ドルオー)と2人のかわいい子どもたち(サンドリーヌ・ドルオー、オリヴィエ・ドルオー)と暮らす。日曜日には家族そろって野原にピクニックに出かける幸せな日々をすごしていたが、ある日、フランソワは郵便局の窓口で働くエミリーという女性と知り合い、深く愛し合うようになる。フランソワは二人の女性を同時に愛すことに喜びを覚え、日曜日の家族のピクニックのとき、あまりに幸せそうにしているので妻にたずねられると、「きみを愛しているけど、もう1人、同じように愛している人がいるんだ」と打ち明ける。

それを聞いてニコッとほほえんだ妻は・・・。

 

結婚している男が別に愛している女性がいるとなれば、それは「不倫」であり、背徳の空気が漂うはずだが、男は悪びれるどころか、「幸せなんだからいいじゃん」とウキウキしている。

幸せって何?幸せと思ってるけど本当の幸せなの?と問いかける映画。

 

フランソワとテレーズの2人の子どもたちがとても自然な演技で、パパ・ママになついている感じだったが、実は夫婦役の2人は実生活でも夫婦で2人の子どもは実の子ども。つまり家族4人で出演していたのだった。

 

アニエス・ヴァルダは2019年に90歳で亡くなっているが、トリュフォー「大人は判ってくれない」ゴダールの「勝手にしやがれ」より前にヌーベルバーグ的作品を発表していて、「ヌーベルバーグの祖母」とも呼ばれる伝説の映画監督。

ほかにも「ダゲール街の人々」(1975年)や「落穂拾い」(2000年)などのドキュメンタリー作品も数多く残している。