善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

極夜行 冒険家と犬の関係

角幡唯介「極夜行」(文藝春秋)を読む。

数カ月間を極夜、太陽のない暗闇に閉ざされた極北の地を単独行した探検記。
大学時代からさまざまな未知の空間を追い求めて旅をしてきた著者は、この数年、冬になると北極に出かけていた。そこには、極夜という暗闇に閉ざされた未知の空間があるからで、そこで太陽を見ない数カ月を過ごしたとき、自分が何を思い、どのように変化するのかを知りたいと探検の旅に出たという。

相棒となるのは犬1匹で、数10キロの橇を引いて行くのだが、食料が不足して飢えに苦しむ中で、冒険家と、一緒に旅している犬との関係が実におもしろかった。
犬は極北の寒さにも耐えられるグリーンランド犬だが、冒険家は食べるものがなくなったら犬を食べようと思っていて、犬のほうは冒険家がひり出すウンチが大好物なんだそうだ。

ある日のこと、いつもはテントの中で脱糞するのだが、風もなく穏やかだったので外で気持ちよくウンチをしたいと、テントの外で排泄行為をしたときのこと。
ズボンを下げてお尻をペロンと出し、しゃがんで行為に取りかかろうとすると、犬は妙に熱っぽい視線を彼の臀部に投げかけるのだという。
いつも彼がウンチをしたあと、それをうまそうに食べているので、ホカホカのウンチを食べたい気持ちはよくわかっていたが、目の前で脱糞を始めたものだから予想外のことが起こったという。
犬が突然、脱糞中の彼の背後に近づいたかと思うと、まだ完全に出し切っていない彼の肛門に鼻を近づけて、もうたまらないといった様子で尻の穴から出てくるウンチをぱくぱくと食べだしたのだという。

以下は本書より。

それどころか、私が糞を出しきると、まだ全然食べたらないといった様子で、あろうことか私の菊門を慈愛に満ちたテクニカルな舌技でぺろぺろと舐めだしたのである。
 あふっ。
 思わず口からはしたない声が漏れた。予想外の犬の行動に狼狽し、かつぞくぞくした私は、その刹那、この品のない振る舞いをそのまま続行させるべきかどうか、迷った。しかも反射的に背徳感というか、私という人間の内側にこびりつく近代人のつまらぬモラルが顔をのぞかせ、「おい、やめろ。そんなことをしたら、駄目だ。向こう行ってろ」と手で追い払った。犬はまだ不満な様子で、なお必死に菊門に舌を伸ばそうとするが、私は片手で犬を抑えつけて、駄目だ駄目だ、それだけは勘弁してくれと抵抗した。

犬を拒絶して、筆者はあとで後悔したという。
はるか昔、犬の祖先である狼は、旧石器人と接触するうち、自ら家畜化して人間に可愛がられることを選択し、それにより種の保存を図ったという。人が犬を可愛がり、犬も人に可愛がられるのはとてもナチュラルな振る舞いなのだから、肝心なところで近代人のモラルに邪魔されることなく、あのまま犬を自由にさせていたら、彼と犬は3万年の時空を超えて旧石器人が狼を手なずけたあの瞬間に立ち戻ることができたかもしなかった、と反省するのである。

数カ月間も太陽を見ずに真っ暗な中で、しかも食料もなくて飢えにおびえながら歩き続けると、そんな人類の原始のころの気持ちに立ち返るのだろうか。