元の原稿の文字や記号を間違って印刷してしまうことを誤植という。
昔は活字を1本1本並べて置いて組版というのをつくっていて、これを植字というが、植字の際、活字を間違えて置いてしまうのを誤植といった。
誤植があっても、ゲラ刷りの段階で校正者や著者自身が見つけて訂正すれば問題はないが、うっかり見落としたまま素通りしてしまえば、誤植のままの印刷物となってしまう。
昔は活字を1本1本並べて置いて組版というのをつくっていて、これを植字というが、植字の際、活字を間違えて置いてしまうのを誤植といった。
誤植があっても、ゲラ刷りの段階で校正者や著者自身が見つけて訂正すれば問題はないが、うっかり見落としたまま素通りしてしまえば、誤植のままの印刷物となってしまう。
著者や編集者、校正者と誤植にまつわる話をアンソロジーでまとめたのが本書。
面白かったのが誤植の“ケガの功名”?の話。
詩人の大岡信氏は、校正とはただ植字の間違いを見つけることではなく、「原著者の書いていることに対して、校正者の方から交差的にかかわってゆくという能動的な行為があってはじめて、本当の意味での校正が成り立つ」と述べる。
それで中には、自分が書いた字より誤植された字の方がよかった、という経験をしたこともあったという。
あるとき書いた詩の中に、原稿では「すべての涙もろい口は」と書いたのが、ゲラ刷りでは「すべての涙もろい国は」となっていて、大岡氏はすぐにこれを「口」に訂正しようとしたが、いや待てよ、と思い止まったという。
「ここは国としたほうが面白い」と赤を入れるのをやめて、誤植のまま出版したとか。
あるとき書いた詩の中に、原稿では「すべての涙もろい口は」と書いたのが、ゲラ刷りでは「すべての涙もろい国は」となっていて、大岡氏はすぐにこれを「口」に訂正しようとしたが、いや待てよ、と思い止まったという。
「ここは国としたほうが面白い」と赤を入れるのをやめて、誤植のまま出版したとか。
やはり詩人の長田弘氏もこんな経験があるという。
ある雑誌に詩を書いたとき、その中の1つの言葉が誤植されて印刷されてしまった。もともとは次の1行になるはずだったという。
涙が洗ったきみやぼくの苦い指は
ところが実際に印刷された詩は、その中の1字が誤って次のように変わってしまった。
涙が洗ったきみやぼくの若い指は
つまり「苦い」が「若い」と間違って印刷されてしまったのだが、当初は編集部に訂正を申し入れたりしたものの、しばらくして、「若い指」という、自分では思いもかけなかった言葉の表れに興味を持ち、訂正するのをやめたという。
小説家の吉村昭氏のエピソードもいかにも吉村氏らしい。
学生時代、大学の文芸部に属していて文芸雑誌を出していたが、金がないので安く印刷してくれる刑務所内の印刷所に印刷を頼んだという。
ゲラ刷りの校正のため刑務所通いを続けるうち、「鉄格子の中にいる見えざる印刷部の囚人との間には奇妙な親密感めいたものが生まれてきていた」という。
また、「手渡されるゲラに囚人たちの息づかいを感じ、また、かれらは朱を入れた私たちの文字に外界の空気を吸い込んでいるように感じているようだった」ともいう。
ゲラ刷りの校正のため刑務所通いを続けるうち、「鉄格子の中にいる見えざる印刷部の囚人との間には奇妙な親密感めいたものが生まれてきていた」という。
また、「手渡されるゲラに囚人たちの息づかいを感じ、また、かれらは朱を入れた私たちの文字に外界の空気を吸い込んでいるように感じているようだった」ともいう。
あるとき、ゲラに朱を入れていた吉村氏は、最後の部分に妙な一節が加えられているのに目を見張った。
そこには「雨、雨に濡れて歩きたい」という文字が書き加えられていた。
吉村氏は複雑な思いを抱きながら、赤い線を1本、遠慮しながら引いたという。
そこには「雨、雨に濡れて歩きたい」という文字が書き加えられていた。
吉村氏は複雑な思いを抱きながら、赤い線を1本、遠慮しながら引いたという。
ところで本日のこの文章には、誤植はなかったかな?