善福寺公園めぐり

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国立劇場5月文楽公演 心中天網島

きのうは国立劇場で5月文楽公演『心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)』
今から約300年前、近松門左衛門68歳のときの作品で、妻子持ちの紙屋治兵衛が遊女・小春と心中にまで至る物語。

大阪・天満で紙屋を営む治兵衛は、曽根崎新地の遊女・小春に入れ込んで店の身代を揺るがすまでになってしまい、なりゆきで小春と心中の約束をする。
小春は本気で心中しようと思うが、気配を察した治兵衛の女房おさんから「どうぞ夫を死なせないで」との手紙をもらい、女同士の義理立てから、心中をやめて治兵衛と別れようとする。つまり、治兵衛を思い、治兵衛の幸せを願った上での翻意だった。
そうとは知らない治兵衛は、小春が心変わりしたと思い込んで彼女を憎んでしまう。

小春をすっぱりあきらめたかに見えた治兵衛だが、想いは捨てきれない。小春が自分の恋敵である大金持ちの太兵衛に身請けされるとのウワサを耳にすると、小春は太兵衛のような男に見受けられれば死ぬといっていた、と炬燵の中で涙する。
それを聞いたおさんは「そんなことになっては、義理立ててくれた小春に私の義理が立たない」と、小春を救うために身請けしようとする。
ところが身請けの金をつくるため着物を売ろうとしているところに、おさんの父親があらわれ、むりやり2人を離縁させておさんを連れ帰ってしまう。
追い込まれた治兵衛は、ついに小春との心中への道に突き進むことになる。

遊女をめぐる話は必ず悲劇となる。
まれに『廓文章』のようにパーピーエンドに終わる話もあるが、あれだって本当にハッピーなのかどうか。
廓とは“苦界”である。決して大阪市長の橋下氏がいうように“職業”なんかじゃない。あんな発言をして市長でいられるなんて、とても信じられないが、遊女は好きで選ぶ職業ではない。
だって労働者は体は売っても心は売らない。ところが、遊女は本来なら心の表現、愛情表現であるセックスを売り物にしなければならない。つまりは心までも切り売りしなければならない仕事を「必要だった」なんていえるだろうか。
しかもそうやって女性たちは戦争遂行のための道具にされたのである。

心中天網島』は、しょうもない男の行く末を描いた作品ともいえる。
「天網」とは、悪事を働けば必ずとらえられて天罰が下るという老子の「天網恢々疎にして漏らさず」の言葉からとられているという。
心中に向かう場面の語りにも「悪所狂ひの身の果ては、かくなりゆくと定まりし」とある。

一方で、涙するのは2人の女性の「義理立て」である。
おさんは小春に義理を立て、小春はおさんに義理を立てる。ここでいう2人の「義理」とは、「他者を思いやる」ことだろう。

おさんの文雀、小春の勘十郎、治兵衛の玉女の人形もよかったが、「天満紙屋内」から「大和屋」までを語った咲大夫の義太夫と三味線・燕三がよかった。

恋情け、ここを瀬にせん蜆川、
流れる水も、往き通ふ、
人も音せぬ丑三つの、空十五夜の月冴えて、
光は暗き門行灯、大和屋伝兵衛を一字書き・・・、

近松門左衛門の詩情豊かな語り口がすばらしい。

今回の公演は文楽協会創立50周年、竹本義太夫300回忌記念、近松門左衛門生誕360年記念と銘打っているためだろう、第2部は『心中天網島』の前におめでたい『寿式三番叟』。
久々の住大夫が翁を語っていた。
脳梗塞で休養していたと聞くが、見たところはまだ病み上がりという感じ。しかし、声はしっかりしていた。これからも元気でいてほしい。

[観劇データ]
2013年5月16日
国立劇場 5月文楽公演 第2部午後4時開演
寿式三番叟/心中天網島
4列20番