資本主義はなぜ西洋で誕生したのか?なぜ支配的なシステムになりえたのか?―経済事象のみならず、私たちの生き方をも規定している資本主義。その本質について、16世紀からの歴史をふまえ、宗教・国家・個人との関係にいたるまでの対話集。
[目次]
第1章 なぜ資本主義は普遍化したのか?
第2章 国家と資本主義
第3章 長い二一世紀と不可能性の時代
第4章 成長なき資本主義は可能か?
第5章 「未来の他者」との幸福論
第1章 なぜ資本主義は普遍化したのか?
第2章 国家と資本主義
第3章 長い二一世紀と不可能性の時代
第4章 成長なき資本主義は可能か?
第5章 「未来の他者」との幸福論
著者の水野氏は1953年生まれ。埼玉大学大学院経済科学研究科客員教授。早稲田大学大学院経済学研究科修士課程修了。八千代証券(現三菱UFJモルガン・スタンレー証券)などを経て現職。
もう1人の大澤氏は1958年生まれ。社会学者。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。
もう1人の大澤氏は1958年生まれ。社会学者。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。
「現代は3年に1度バブルが発生して崩壊する社会だ」という意見があり、水野氏はその通りになっているという。
なぜ、バブルが頻繁に起きるかといえば、新しい「実物投資空間」がなくなったからだ。
なぜ、バブルが頻繁に起きるかといえば、新しい「実物投資空間」がなくなったからだ。
世界経済は飽和状態を迎え、開発や支配権の拡大に下支えされた経済成長は今後は難しいのが現実。
アルジェリアのテロ事件で明らかになったように、すでに先進国の開発の手はアフリカの砂漠の真ん中にまで及んでいて、もはや人類は地球の果てまで開発をし尽くし、地球上には夢の未開地=フロンティアが存在しなくなっている。
常に先進国の成長の大前提だった搾取の対象を、すでにわれわれはしゃぶり尽くしてしまった。
それなのに相も変わらぬ成長神話にすがりついた政策を無理矢理推し進めようとするのが「アベノミクス」。
アルジェリアのテロ事件で明らかになったように、すでに先進国の開発の手はアフリカの砂漠の真ん中にまで及んでいて、もはや人類は地球の果てまで開発をし尽くし、地球上には夢の未開地=フロンティアが存在しなくなっている。
常に先進国の成長の大前提だった搾取の対象を、すでにわれわれはしゃぶり尽くしてしまった。
それなのに相も変わらぬ成長神話にすがりついた政策を無理矢理推し進めようとするのが「アベノミクス」。
新しい「実物投資空間」がなくなって、何があるかというと「電子・金融空間」。
「実物投資空間」の膨張がインフレであるのに対して、「電子・金融空間」の膨張がバブル。
つまり、もはやインフレが生じなくなったからバブルが繰り返し起き、バブル崩壊が同じだけ生じる。
バブル崩壊でデフレが生じるのだから、そのデフレをインフレを起こして解消するのは倒錯した議論だ。
「実物投資空間」の膨張がインフレであるのに対して、「電子・金融空間」の膨張がバブル。
つまり、もはやインフレが生じなくなったからバブルが繰り返し起き、バブル崩壊が同じだけ生じる。
バブル崩壊でデフレが生じるのだから、そのデフレをインフレを起こして解消するのは倒錯した議論だ。
つまり、資本主義の現段階においては、もはや「電子・金融空間」の投機的な方法でしか、利潤は得られなくなっているといえる。
そんな中で「成長」しようとすれば、かえって後退するという逆説を招く結果となっている。
そんな中で「成長」しようとすれば、かえって後退するという逆説を招く結果となっている。
そもそも資本主義は「強欲」の性質を持っている、と水野氏はいう。
今度のアメリカ大統領選挙でロムニー共和党候補は「私は税金を払っている人のための政治をする」と発言したが、それはつまり、共和党は金持ちのために存在し、貧乏人は相手にしないと言い放ったことになるという。
自分さえよければいい、金持ちさえ豊かであればいいというのは、そもそも資本主義固有の性質であるという。なるほど、そこで、マルクスの『資本論』に出てくる「わが亡きあとに洪水よ来れ」という言葉を思い出した。
今度のアメリカ大統領選挙でロムニー共和党候補は「私は税金を払っている人のための政治をする」と発言したが、それはつまり、共和党は金持ちのために存在し、貧乏人は相手にしないと言い放ったことになるという。
自分さえよければいい、金持ちさえ豊かであればいいというのは、そもそも資本主義固有の性質であるという。なるほど、そこで、マルクスの『資本論』に出てくる「わが亡きあとに洪水よ来れ」という言葉を思い出した。
それは次の文脈で出てくる。
「どんな株式思惑においても、いつかは雷が落ちるに違いないということは誰でも知っているが、自分自身が黄金の雨を受け集め安全な場所に運んだ後で、隣人の頭に雷が命中することをだれもが望むのである。“大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!”これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない」
「どんな株式思惑においても、いつかは雷が落ちるに違いないということは誰でも知っているが、自分自身が黄金の雨を受け集め安全な場所に運んだ後で、隣人の頭に雷が命中することをだれもが望むのである。“大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!”これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない」
別の訳では「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ」は「あとは野となれ山となれ」となっているが、そういえばかなり昔、『わが亡きあとに洪水はきたれ』というそのまんまのタイトルの本を読んだことがあって、いまだに覚えている。たしか共同通信の記者だった斎藤茂男氏が著者で、70年代の日本の大企業の下で働く労働者の実態を克明にレポートしたものだった。
「わが亡きあとに洪水はきたれ」のこの言葉、40年以上たっても色あせないどころか、ますますその通りの感じかしている。