善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

時計の役割

6月にフランスを旅したとき、どのカテドラルにも立派な機械式の時計があった。ストラスブールにはからくり付きの天文時計があったし、リヨンのサン・ジャン大聖堂では14世紀につくられたという天文時計が見事だった。
そういえば以前プラハに行ったときに見た巨大な天文時計も中世につくられたものだった。

そこで「時計」について調べていたら、意外なことを知った。中世から近世にかけてのヨーロッパにおいて、時計は単に正確に時を刻むだけでなく、支配者に都合のいいようにも利用されていたというのだ。
 
機械式の時計が登場する前までは(いや登場してからもしばらくは)、農村では自然のリズムに従って季節によっても場所によっても時間の長さの違う自由で自然な生活をしていた。しかし、都市では機械式時計が刻む年中一定の時間をもとに生活をするようになってから、人々の意識も変わっていったようだ。

やがて、都市の商人・職人たちの間に商工業生産と労働時間との間に価値の概念が生まれ、それは近代資本主義に転化されていく。資本主義とは、生産手段を持つ資本家が生産手段を持たない賃金労働者を使用して利潤を追求する社会システムだが、そこには時計による時間の管理が重要な役割を果たしていたのである。
(以上、セイコーミュージアム「時を学ぼう」より)
 
同じようなことを西洋中世史が専門の池上俊一が「遊びの中世史」(ちくま学芸文庫)の中で言っている。

池上によると、「教会の時間」に「商人の時間」が取って代わるようになると、働く時間と余暇の時間が徐々に分離し、労働時間の中にも通常勤務と臨時・超過勤務の別が析出してくる。時間を都市当局がコントロールしようという動きが大きくなるのはそのためであり、その結果、正確に時を刻む「機械時計」が、教会の鐘に取って代わり、時間規制が条例にさかんに現れることになる、という。
 
池上は、135411月にフランス国王ジャン2世が出した次のような王令を紹介している。
 
「働ける者は男も女も、それぞれ手なれた仕事の日雇い現場に、朝赴いて決められた賃金で働くこと。もしも働くべき日にサボったり、サイコロ遊びなどの禁じられた遊びをしたり、居酒屋でのらくらする者があったら処罰する。日の出から日没まで働くこと。放浪は禁止する、云々・・・」
 
こういう王令が出されたということは、以前は働くべき日にサボったり、サイコロ遊びをしたり、居酒屋でのらくらすることが許され、大っぴらに行われていたということなのだろう。
 
人々が時計に従って働くようになると、それまでは渾然としていた労働時間と余暇も明確に分離するようになっていった。
そのいい例が「遊び」であり、中世のころの農村での労働は、自然と密接に結びつき、労働と遊びは融和し、ともに神聖なる世界の統括下にあった、という。
つまり、労働は遊びとともにあり、かなり気楽な面があったのだろう。
ところが、資本主義の台頭・発達とともに労働と遊びは対立するものとなり、労働は苦役となった。
 
近世までのヨーロッパには、日曜日にしこたま酒を飲んで、月曜日を日曜日のように聖なる日と見なすことで「休んじゃってもいいや」とする「聖月曜日」の習慣があったという。
特に手工業の現場においては職人に広い自律性や柔軟さが認められており、職人たちは比較的自由な時間の使い方が可能だった。仕事中の飲酒もごく普通だったという。そこで職人たちは休日である日曜日には思い切り飲んで、翌日の月曜日にもさまざまな理由をつけて仕事に遅れたり休んだりするということがしばしば見られたというが、産業革命とともにその習慣もなくなっていった。
 
本来、労働は喜びであるはずなのに、「資本主義における労働は人間を疎外している」ととらえたのがマルクスだった。
彼は「資本論」の最後のほうで、搾取社会ののちの来るべき社会としての「未来社会論」を展開している。
もちろん、搾取社会が終わりをとげて労働者が主人公の未来社会になっても、生活の必要や社会の維持・発展のために義務としての労働が必要であり、それは物質的生産という「必然の国」の中でのことだが、この「必然の国」の彼方には「自由の国」がある。義務としての労働から解放され、時間を自由闊達に使い、自分自身を発達させることができる「自由の国」である、というようなことをマルクスは言っている(資本論第3部第48章)。
 
150年も前の著述だが、いまだ実現してないものの、人間の理想を語っているように思える。