善福寺公園めぐり

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現代台湾鬼譚─海を渡った「学校の怪談}

伊藤龍平・謝佳静『現代台湾鬼譚─海を渡った「学校の怪談」』(青弓社)を読む。

日本語の「幽霊」を意味する中国語「鬼」は、現代の台湾でどのように恐怖の対象になっているのか。
海を渡って日本から台湾に広まって台湾流にアレンジされたこっくりさんや「学校の怪談」を、実例=怖い話とともに紹介して、台湾のオカルト事情を紹介する──というのが本書の内容。。

著者の伊藤龍平は台湾・南台科技大学教員。専攻は伝承文学。著書に『江戸の俳諧説話』『ツチノコ民俗学』『江戸幻獣博物誌』など。共著者の謝佳静はその教え子で、修士論文のテーマが「学校の怪談の台日比較」。これを読んでおもしろいと思った伊藤氏の発案で本になったという。

読み始めた当初、何だ、ただのオカルト本かと思って投げ出そうとしたが、途中からおもしろくなっていった。

同書を読んで、日本の「トイレの花子さん」とか「学校の怪談」がいかに台湾の若い人たちに影響を与えたかがわかるが、同時に、日本の植民地時代と、その後の国民党支配の時代にまつわる“歴史の暗部”が台湾における“怖い話”とダブっているのが印象的だった。

しかし、本書を読んで一番驚いたのは、日本でいう「霊魂」や「幽霊」は、台湾を含めた中国では「鬼(グェイ)」というということだった。
日本で「鬼」といえば、角や牙を持ち、虎皮のフンドシに鉄のこん棒を持った赤鬼、青鬼を思い浮かべる。
ところが中華圏では、鬼は死者であり幽霊のことをいうのだという。
この違いは何だろう?

日本国語大辞典」(第2版)で調べてみた。
すると「おに[鬼]」の項の最初に書かれているのは次の文言。
「(「隠(おん)」が変化したもので、隠れて人の目に見えないものの意という)死者の霊魂。精霊」

なるほど、日本語でも本来の鬼の意味は中国と同じなのだ。
934年ごろの「和名抄」には「於邇(おに)とは隠の音の訛なり。鬼物隠にして形顕すを欲せず」とあり、1241年の「観智院本名義抄」には「神 カミ オニ タマシヒ」とある。

しかし、その後、「人にたたりをすると信じられていた無形の幽魂など。もののけ。幽鬼」となり、「想像上の怪物。仏教の羅卒(らそつ)と混同され、餓鬼、地獄の青鬼、赤鬼など」と意味が変わっていったようだ。

しかし、鬼を死者の霊魂とする、もともとの意味は実は今も残っている。

「鬼籍に入(い)る」とは「幽霊の籍に入る」ことだから、まさに「死ぬ」ことであり、「鬼気」とは岩波の「国語辞典」(第3版)によれば「身の毛がよだつような恐ろしいけはい」とある。ちなみに、同書によれば「鬼は恨みをいだく人の霊」とある。

「鬼」についてもっと知りたくなった。