善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

秀山祭九月大歌舞伎 昼の部

日曜日は新橋演舞場公演「秀山祭九月大歌舞伎」を観ようと銀座へ。
地下鉄・東銀座駅の前に差しかかると建て替え中の歌舞伎座がだいぶ出来上がっていた。
イメージ 1

イメージ 2

本日観たのは昼の部。客席は満員だったが、ふだんの昼の部と違って男性客も多い。日曜日だからか。
演目は「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ」」の「寺子屋」と「天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)」の「河内山(こうちやま)」。

当初、「寺子屋」は松王丸を染五郎、武部源蔵を吉右衛門がやる予定だったが、染五郎の転落事故で松王丸を吉右衛門、源蔵は中村梅玉が代役をつとめることになった。
秀山祭は初代吉右衛門(俳名・秀山)の芸を次世代に伝えようと毎年公演されている。当代の吉右衛門は養子だが初代の孫にあたり、染五郎はやはり孫である当代の幸四郎のせがれ。(つまり初代吉右衛門の娘婿が白鸚で、その子どもが幸四郎吉右衛門)。

吉右衛門は甥の染五郎に勉強させたくて松王丸をやらせたかったのだろうが、果たせなかった。それでも、吉右衛門の松王丸の圧倒的な存在感。出てくるだけで舞台が高揚する。
ただし、あれだけすばらしい吉右衛門の松王丸をみてみると、吉右衛門の源蔵もみてみたくなったったが・・・。

「菅原伝授手習鑑」は天神様の菅原道真と悪役藤原時平の物語。しかし「寺子屋」には両名は出てこない。道真一族根絶やしにしようとする時平は、道真の息子の秀才を捜して殺そうとしている。元道真の弟子で、今は田舎の寺子屋の先生となっている武部源蔵は秀才をかくまっているが、それが発覚して秀才の首を差し出せと迫られ、「せまじきものは宮仕え」と苦渋の顔。そこへ秀才によく似た子どもが弟子入りしてきて──という話だが、最後のところでやっぱり泣かせてくれる。

いつも「寺子屋」の松王丸を見て、あのハデな頭が気になっていたが、あれは実は病気をあらわしているんだそうですね。「五十日鬘」とかいって、病気で寝込んでいるので髪は伸びっぱなし、「病鉢巻」と呼ばれる鉢巻きまで巻いているというわけ。
たしかに刀を杖にして歩いている感じで、ゴホンゴホンと咳き込んだりする。実際、松王丸は主人である時平に病を理由に暇願いを出している。だから首実検がすむまでは病人を装わなければならなかったのだろう。

歌舞伎がおもしろいのは、悲劇を描いているのに(いや、だからこそか)、笑いを忘れないこと。悲劇と喜劇は実は同じことなのかもしれない。
今回は、よだれくり与太郎と下男三助の場面。
よだれくりとは、よだれを垂らす、青ばなをたらすという意味で、本来は子どもの役だが、大人が演じていて、滑稽さを出している。このよだれくりの役、普通は大部屋俳優が担当するが、まれに名優がやることがあり、先代の勘三郎が「寺子屋」でよだれくりを演じたことがあるそうだ。で、出演中に女の子が生まれ、名づけられたのが、本名が波野でよだれくりにひっかけて「波野久里子」。本当だかどうだか。

後半の「河内山」は痛快な江戸っ子話。七五調の河竹黙阿弥のセリフが小気味よく、「とんだところへ北村大膳」の名セリフは、子どものころ映画とか喜劇の舞台でよく聞いたものだ。なつかしかったなー。

[観劇データ]
秀山祭九月大歌舞伎
2012年9月9日昼の部
新橋演舞場
1階2列16番