善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

秀山祭九月大歌舞伎 玉三郎にしびれる

歌舞伎座で「秀山祭九月大歌舞伎」夜の部を観る。
絵看板が夕方の西日を浴びていた。
イメージ 1

イメージ 2

秀山は明治末から昭和にかけて活躍した初代中村吉右衛門の俳名で、初代吉右衛門の功績を顕彰しその芸を継承するため毎年開催されている。
今回は昼の部で『碁盤忠信』『太刀盗人』『一條大蔵譚』、夜の部で『妹背山婦女庭訓 吉野川』『らくだ』『元禄花見踊』と、初代にゆかりの俳優らによるみどころあふれる演目。

夜の部の『吉野川』は2時間ぶっ通しの芝居で、対立する家の子を思っての行動が互いに悲劇を招く物語。
出演は、大判事清澄を当代の吉右衛門、久我之助・染五郎、腰元桔梗・梅枝、腰元小菊・萬太郎、雛鳥・菊之助、そして太宰後室定高に玉三郎
何といってもすばらしかったのが玉三郎だった。

大化改新の時代の話で、敵役として出てくる(きのうの芝居には登場しないが)のは蘇我入鹿
紀伊国を領する大判事家と大和国を領する太宰家とは、吉野川を挟んで両岸に位置しており、それぞれの息子久我之助と娘の雛鳥は相思相愛の仲ながら親の不仲ゆえに会うことが叶わない。
普段なら下手側にしか花道がないが、この芝居では上手側にも花道がつくられ、この両花道を吉野川の両岸に見立て、客席は吉野川という趣向。
客は、川の中から演技を見ている格好になり、なかなかオツな劇空間。
ただし、1階席の前から2列目の真ん中あたりに座ったので、花道での吉右衛門玉三郎の演技にあっち向いたりこっち向いたり、首が疲れた。

吉右衛門の大判事はいつも通りの名演だが、気張った感じが強すぎるのか、セリフの中身がなかなか聞き取れない。
一方の玉三郎の定高は自然体で口跡もなめらか、セリフがはっきりしているから言ってることがナルホドといちいちうなずける。
話の筋自体は有名だから知っているが、やっぱりセリフでわからせることは重要なんじゃないか。

蘇我入鹿の理不尽な要求に、表面上には不仲を装いながら、実は相手の子どもだけは助けようとわが子を犠牲にしようとする大判事と定高。その目論見が外れて結局は2人の子どもは死に追いやられる。
現代の目からするととても理不尽な話なのだが、玉三郎の定高の切々としたセリフを聞くとやっぱり涙が流れてくる。

以前、玉三郎の『伽羅先代萩』を観たとき(昨年9月のやはり秀山祭だった)、とてもリアルで自然体の演技に歌舞伎の様式美とリアリズムが見事に融合した姿を見た気がしたが、今回も同じだった。

ことに印象的だったのが幕切れのシーン。吉右衛門玉三郎が並んで見栄を切って終わりという歌舞伎のお定まりの場面だが、玉三郎は幕が下りるとき、流れる涙をとめるさりげない姿だった。母の情がそこにうつし出されていた。

『元禄花見踊』は花見の様子を華麗な総踊りとのびやかな長唄で楽しむ舞台だが、ここでも惚れ惚れしたのが玉三郎の踊り。

帰り道、銀座の通りを歩きながら、玉三郎の余韻に浸った夜だった。