善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

リンカーン弁護士

月曜日朝の善福寺公園は雲1つない快晴。日陰は涼しいが、直射日光が強烈。
夏休みもあと2週間。きょうから小学生のラジオ体操が始まったらしく、首からカードを下げたチビッコたちがたくさんいた。
上池で久々にカワセミ発見。

おとといの土曜日は、新宿のシネマートで「リンカーン弁護士」を見る。
封切りしてからだいぶたっているから客はパラパラ。それにスクリーンが小さい。
先日「崖っぷちの男」を見てがっかりしたばかりだったが、こちらはけっこうおもしろかった。
最初はやけに小さく見えたスクリーンも映画が始まるとまるっきり気にならなかった。スクリーンの大きさより、映画館の雰囲気の方が大事なのだろう。

原作はマイクル・コナリーの同名の小説。この原作を読んで以来、彼の小説をよく読むようになったが、映画も小説に負けずにがんばっていた。
主人公は敏腕弁護士なんだけど悩みも抱えていて、その葛藤ぶりがドキュメンタリータッチの映像に浮かんでくる。監督はブラッド・ファーマン

自前の事務所を持たない(持てない)ミック・ハラー(マシュー・マコノヒー)は、黒塗りの高級車リンカーン・コンチネンタルの後部座席を事務所代わりにし、常にいくつもの案件を抱えている敏腕弁護士として活躍している。
少々強引な手も使いつつ軽い刑でおさまるよう司法取引を成立させ、一方で麻薬売人や娼婦といったアウトサイダーたちを助けたりもしている。

ある日、資産家の息子、ルイス・ルーレ(ライアン・フィリップ)が女性を殴打したとして近々立件されるとの情報を得て、金になると目論んだミックは彼の弁護人となる。
ところが、このルーレこそ、過去にハラーが手がけた殺人事件の真犯人だった。この事件のとき、無罪を主張する若者の弁護人になったハラーは、被告の若者に司法取引に応じたほうがいいと説得して有罪を認めさせ、死刑判決のかわりに終身刑を飲ませたのだが、実は若者は無実であり、本当の犯人はルーレだった。
しかし、ルーレの弁護を引き受けたハラーはそこで窮地に陥る。弁護士には秘匿特権(弁護士は依頼人との会話や情報を外部に漏らしてはならないというルール)があるため、依頼人を告発することができないのだ。どうするハラー?

ここでクローズアップされるのが、「秘匿特権」の問題もそうだが、「司法取引」という、日本にはない制度だ。
検察側と被告側とが取引を行い、裁判が始まる前に被告側が有罪を認める代わりに、検察側が刑を軽くしたり、ほかの訴えを取り下げる制度が司法取引。 アメリカでは起訴された事件の実に8割がこの司法取引によって裁判を始める前に決着しているという。
いかにも合理主義の国、アメリカらしい制度だ。

刑を軽くするかわりに、裁判にかかる時間と費用を節約できるメリットがある。また、減刑したとしても有罪にできるというのも検察にとっては都合がいい。
もう1つ、アメリカは陪審裁判の国である。ひょっとして評決で無罪が言い渡される可能性もないではない。そこがプロの裁判官による裁判と違うところで、裁判の結果が不確定な陪審裁判に結果をゆだねるより、司法取引で早いとこ決着させた方がマチガイが少ないと考えたのだろう。

そのかわり、最大の問題点が、冤罪が生まれやすいということだ。
そう考えると、恐ろしい制度だと思う。

この映画のテーマもまさにそれであり、自分が弁護人となった裁判で無実の者を終身刑に追いやり、冤罪をつくりだしたことに気づいたハリーは、モーレツな自己嫌悪に陥る。
むしゃくしゃして酒を飲むシーンがすごい。まさに「浴びる」という感じで、ストレートのウイスキーを口の中に流し込む感じで一気飲みしていた。
日本人なら「すする」となるが、そこがアルコール分解酵素の含有量が違う日米の遺伝子の違いか。

それはともかく、アメリカの司法制度の矛盾をついていて、この映画はある意味、告発劇でもある。

映画のあとは、映画館のすぐそばにある「農家の台所」という店でお昼。

この店の名物という野菜のサラダバーが新鮮でおいしい。おかわり自由。
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ランチは豚肉メインが1680円、魚メインが1360円。
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ご飯茶碗が変っている。
手前に傾いた形をしていて、茶碗は水平と信じ込んでいる者にとっては食べにくいったらありゃしない。おかげでいつもの感覚で食べていてご飯をこぼしてしまった。
オシャレ優先で、客のことはあまり考えていないのかな?
ご飯ぐらいは、そんな冒険した食べ方じゃなく、普通に平穏に食べたいのだが。