100万の軍を撃破した昆陽の戦いぶりがスゴイ。
まるで一遍の詩を読むような、流麗な筆致。
昆陽城を包囲した100万の王莽軍に対して、劉秀は夜陰に乗じてわずか13騎で昆陽城を脱出。途中、3千の兵を集め、昆陽包囲軍と対決し、大勝してしまった
まるで一遍の詩を読むような、流麗な筆致。
昆陽城を包囲した100万の王莽軍に対して、劉秀は夜陰に乗じてわずか13騎で昆陽城を脱出。途中、3千の兵を集め、昆陽包囲軍と対決し、大勝してしまった
作者は小説の中で、昆陽の戦いを次のように評している。
朱祐(しゅゆう・劉秀の側近)のような儒教の信奉者の良いところは、不遇や貧困に強いことである。儒教は、春秋時代に魯という、軍事的に劣り、富力をもたぬ国で生まれたため、強くないこと、豊かでないことをあたりまえのこととし、そういう状況で楽しく暮らす方法を人々にさとしたものである。
しかし劉秀は儒教の信徒でないので、発想が違う。
強くないこと、豊かでないことを、耐えるのではなく、その弱点こそ長所であると考え、それをもって強いもの、豊かでないものをしのぐという発想である。
その一例が、昆陽の戦いであった。