善福寺公園めぐり

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宮城谷昌光 草原の風・上

宮城谷昌光『草原の風・上』(中央公論新社)を読む。

読売新聞の連載小説。前漢の初代皇帝・劉邦の子孫で、後漢王朝を打ち立てた光武帝・劉秀の若き日々を描いた作品。
日本との関係でいえば、福岡・志賀島で見つかった「金印」(漢ノ委ノ奴ノ国王)を授けたのが光武帝。これが紀元57年のことで、今から2千年近く前の話だ。

宮城谷昌光の作品はひところ熱心に読んでいたが、10年ぐらい前からはまるで読んでいない。久々に手にしたが、漢文と日本語を見事に一体化させた文章は流れるようで読みやすい。

ただ、彼の作品はどれもそうだが、主人公はみんな聖人のようだ。だから話がどうしても上品ぽくなる。作者の人柄か?

光武帝(劉秀)は劉邦の子孫といっても出自はそれほど高貴ではなかった。何しろ劉邦の子孫は漢朝400年の間に何10万人と増えていて、掃いて捨てるほどいたという(ちなみに現在、中国に劉姓の人口は6500万人)。日本にも漢王室の流れをくむ人々が来日して子孫を残し、勢力を誇ったそうで、坂上田村麻呂はその1人。

劉秀もその他大勢の1人にすぎなかった。ただ、なかなかの美男子で、武勇にも優れていたという。
挙兵したのは28歳のとき。皇帝に即位したのが31歳、天下統一が43歳のときというから、ものすごい行動力のあった人だったのだろう。

そういえば20歳ぐらいのときに都に留学中、アルバイトで運送業を始めたり、薬草をもとにつくった薬売りをやったりしているから、勉学より商才にたけていたのかもしれない。

上巻で面白かったのは未来の王妃・陰麗華との出会い。
史書によれば、劉秀の若いころの口癖は「官に就くなら執金吾、妻をめとらば陰麗華」というものだったという。
執金吾というのは都の治安を守る警備隊の長官のことで、「こんな身分の役人になってみたい」と憧れた職務だったようだ。陰麗華は劉秀と同じ南陽郡(河南省)出身の豪族陰氏の娘。美人で評判で、「あんな娘と一緒になれたら」とこれも憧れに似た気持ちだったのだろう。かなり庶民っぽい願望だ。

しかし、小説では占い師のお告げが2人を結びつけたことになっている。

陰氏の夫人(つまり陰麗華の母親)鄧氏は、ある高名な人相見から4人の息子が将来、そろって国を持つと告げられる。不審に思った鄧氏は、今度は10歳の娘・陰麗華を人相見に引き合わせると、「この子は皇后になる」と告げられる。
なるほど、娘が皇后になるから、そのついで(?)に息子たちもエラくなるのか。ではいったい娘の相手とはだれなのか?

人相見は、「近々祭事はないか。そこに招いた10代、あるいは20代の若者が風をおこして天に昇る龍となる人かもしれない。娘さんはその唯一人を見抜くかもしれない」と予言する。
果たして、祭事の日、帳の影から男たちを見た麗華が「あの人だけが光っている」と将来の夫として指さしたのは、劉秀だった。

なかなかドラマチックな展開だ。中巻、下巻が楽しみ。