善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

座敷おやじ-幇間芸とパントマイムの融合

きのうは台東区柳橋で、幇間(ほうかん)芸とパントマイムのコラボ『座敷おやじ』を観る。

場所は大川(隅田川)端にあるルーサイトギャラリー。
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もともと昭和の流行歌手、市丸のお屋敷で、そこを改装して骨董店としてオープンした2階に特設舞台をつくったもの。

市丸は、昔の人ならみんな知ってる。松本市に生まれ、16歳のときに松本市に近い浅間温泉で半玉(芸者見習い)となる。客に求められた長唄を知らず悔しい思いをしたことがきっかけとなって19歳で上京。浅草で芸者となり、清元・長唄・小唄それぞれで名取となるまでの精進を重ねた。
美貌と美声を買われ、たちまち人気芸者となり、最盛期には一晩に10数件のお座敷を掛け持ちすることもあったとか。
やがて歌手としてレコードデビューも果たし、小唄勝太郎と人気を二分した。
平成9年(1997年)死去。「死ぬまで現役」が口癖で、66年の歌手生活で吹き込んだ曲はのべ1700曲にのぼるという。

ギャラリー入口はふつうの民家の玄関という感じ。
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下足番に靴を預けて中に入ると、1階ロビーはたぶんこの日のために特設されたであろう「ムーンリBAR」。ここでお酒などを少々。ちょいとほろ酔い加減で2階にのぼっていくのがいい。

柳橋は、江戸時代から続く花街の代表格。市丸は芸者をやめて流行歌手となって人気になってから家を建てたが、建てた場所が柳橋だったということは、自分を育てた花柳界への思い入れがそれだけ強かったのだろう。

2階の座敷はひろびろとしていて、板の間は昔は踊りのケイコにでも使ったのか。この板の間が舞台。隅田川が目の前にあり、ときどき船が行き交う。
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夏の盛りはすぎたといってもまだ暑さは残っている。この家には冷房もない様子だが、川風が心地よい。ひょいと見ると氷柱が置いてある。何だか一昔前に戻った気分になる。

客は40~50人ぐらいだろうか、席はいっぱい。老若男女といった感じで、幅広い年齢層。中に島田に結った芸者衆も何人か。
鳴物(望月左博巳)、三味線(紫沙)が両脇に控えて、舞台がはじまる。出演は今や日本に4人しかいないという幇間の悠玄亭玉八と、同じく幇間の櫻川七好、それにパントマイマーの橋本フサヨ。演出は、演劇界で知る人ぞ知る鄭義信(チョン・ウィシン)。

手近にある落語の本によると、幇間とは宝暦(1751~62年)ごろから使われ、「客に従って遊興の酒間を幇(たす)くる者」の意味だという。別名を太夫(たゆう)、男芸者、太鼓持ち、古くは跡付(あとづけ)、沓持(くつもち)、よいしょ、などともいった。落語にはよく登場する職業だが、現実世界では“絶滅危惧種”のようで、日本に4人しかいないということは、その半分が本日登場してくれたことになる。

ストーリーは、お座敷前のひととき、幇間衆があれこれ話している。そこへ不思議な幽霊?があらわれ、お互いにいろんな芸を共演し合う。幇間芸とパントマイム、つまりは東と西の芸とが見事に融合した、芝居仕立てのコメディーという感じ。

悠玄亭玉八は以前、国立演芸場で観たが、やっぱりお座敷で、目の前でやってくれるとなおさら面白い。幇間というのは、客の機嫌を取るために何でもやらないとだめだから、芸の多彩なこと。役者の声色から政治家の声色、踊り、三味線、都々逸、と客を飽きさせない。

櫻川七好も面白かった。中でも出色だったのが18歳の娘と88歳のおばあさんの演じ分け。落語でもそうだが、お座敷芸というのは手拭い1本、扇子1本で森羅万象を演じ分ける。この日は手拭い1つで女性になり、帯の位置を変えるだけで小娘からおばあさんに変身していた。

橋本フサヨのパントマイムもすばらしかった。特に、羽織に別の人間が入って彼女の顔をまさぐる“羽織ダンス”に感服。寄席芸の「二人羽織」を1人でやるといえばわかりやすいだろうか、彼女の手の表現1つで、羽織に魂が宿り、1人なのに2人の人間が踊りを踊っているようだった。

最後はかっぽれの総踊り。かっぽれにムーンリバーの曲が重なり、3人衆が大川を眺めるシーンでお開きとなる。

友人たち8人ほどで観に行ったので、帰りは浅草橋駅近くの飲み屋でいっぱい。「串焼き半額」の看板にひかれて入った店で、ホッピー、ハイボールなどなど。

観劇データ
『座敷おやじ』
2011年9月4日(日)
16時開演 上演時間1時間強ほどだったか
ルーサイトギャラリー(台東区柳橋1-28-8)
自由席 割引チケット4000円