善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

新国立劇場 雨

新国立劇場井上ひさし作の『雨』を観る(21日夜の部)。演出は栗山民也、出演は市川亀治郎永作博美、梅沢昌代、たかお鷹ほか。
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劇場入口には約1000本ものホンモノの紅花が飾られていて、ほぼ満開の見事さだった。
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新国立劇場では「日本の戯曲・春から夏へ」と銘うって『鳥瞰図』『雨』『おどくみ』の3作品を連続上演していて、その第2弾。ホントは『鳥瞰図』も観る予定だったが突発的事情で断念したのがザンネン。

『雨』は井上ひさしの約35年前の作品。1976年に、渋谷の西武劇場で初演(演出・木村光一)。物語は───。

江戸は両国、大橋のたもと。雨宿りに入った金物拾いの徳(市川亀治郎)は老いた「親孝行屋」の乞食(たかお鷹)から「喜左衛門さまでは・・?」と声をかけられる。どうやら東北・平畠の紅花問屋「紅屋」の当主と間違えているらしい。莫大な財産と平畠随一の器量よしの女房おたか(永作博美)を残し行方が分からなくなっていると聞き、本物の当主になりすまそうと江戸をあとにする徳。北に向かうにつれ変わっていく言葉に戸惑いながらも、喜左衛門として一世一代の大勝負を打つ日々が始まった・・。

歌って踊ってをはさみながらの井上ワールドに浸るうち、話はサスペンスじみてきて、やがて次々と殺人事件が起き、最後はどんでん返し。なかなかおもしろい芝居だった。

この芝居のテーマの1つは「言葉」だろう。
主な舞台は東北・平畠(たぶん山形、それも最上地方)なので、登場人物がしゃべる言葉はすべて東北弁。おそらく井上ひさしは東京人にもわかるように“井上語”でアレンジしているからかわかりやすく、リズミカルな言葉の響きが心地よい。

江戸っ子の徳が喜左衛門になりきるには東北弁をマスターしなければいけない。そこで彼は悪戦苦闘しながら言葉を覚えていくが、次第に土地の言葉に魅せられていく。

「東北弁」、というより、その土地で生まれ育まれた言葉の大切さを説くのは井上ひさしの終生のテーマの1つだったのではないか。

この芝居から数年して『吉里吉里人』が誕生しているが、この小説には東北の言葉があふれていて、言葉こそ、その土地その人のアイデンティティーを育んでいることを明確に示している(20代のころ、『吉里吉里人』がおもしろくて、ページが少なくなっていくのを惜しみながらむさぼり読んだものだ)。

『雨』を書いた当時、井上ひさしは国立オーストラリア大学アジア学部日本語科から客員教授に招聘されて1年近くかの地で暮らしている。この時の「日本語が通じない」「英語が分からない」ことに由来する精神的苦痛は相当なものだったという。
余計に言葉を通してのアイデンティティーの重要性に気づいたのかもしれない。

この芝居のもう1つのテーマは夫婦の問題である。夫婦をつなぐものは何か、そこのところはイマイチはっきりしなかった。徳がホンモノの喜左衛門かどうかの判定のとき、決定的な証拠となったのは、女房だけが知っている証拠、すなわち亭主のイチモツの形状であった。

「オラの御亭主のアレはおっきくて、あそごの鈴口のとこにはおっきなイボが2つ」

ちなみに鈴口とは亀頭の先端部のことで、男のイチモツは鈴口、亀頭部、カリ部、竿部と分かれている(オホン)。

「鈴口にイボ2つ」はこの芝居のキーワードとなっている。それだったらもっと艶っぽい場面があってもよかったのに、おたかとの濡れ場シーンはチョイ上品すぎるし、江戸から来た粋な芸者(梅沢昌代)は色っぽさに欠ける(一生懸命やってたが)。まあ、主役は市川亀治郎だからよしとするか・・・。(ちなみに初演のときの配役は、徳に名古屋章、おたかに木の実ナナ、芸者は加茂さくら。それほど差はない)

親孝行屋を演じたたかお鷹が、最初と最後で重要な役割。冒頭、奇態な格好で出てくるが、張りぼてでできた男の人形を胸に抱き、ちょうど孝行息子が親を背負ったように見せかけて、「親孝行でござい」と町中を流して、銭をもらい歩く乞食は、江戸時代末期に本当にいたそうで、いかにもそれらしく見える。昔の人はなかなか味なことを考えたものだが、こうなると大道芸みたいなもので、ただの物乞いとは違う。あるいは物乞いも一種の「芸」として成り立っていた時代なのかもしれない。

雨乞いのシーンの群舞がよかった。農民のエネルギーを感じさせる踊り。たまたま一番前で見ていたが、あのときだけは後ろに行きたかった。

もう1つ、観終わったとき、黒澤明の『七人の侍』の最後の言葉、「勝ったのはワシたちじゃない、農民たちだ」という勘兵衛のセリフを思い出した。紅花で生きる人びとが、生き残りをかけて編み出した知恵のスゴサ。ただし、今回は藩という権力者も加担しているが・・・。