フランス・ラングドックの赤ワイン「シャトー・レゾリュー(CHATEAU LES OLLIEUX)2016」
もともとは1153年に修道院が造られたのがこのシャトーの始まり。1855年からはシュールベジー家の所有となり、現在に至る。
グルナッシュ、シラー、カリニャンに少量のムールヴェードルを加える南フランスの混醸スタイルで、その比率は毎年ほぼ一定だとか。
赤いラベルに似合わず柔らかい口当たり。
ワインの友で観たのは先日NHKで放送していた大河ドラマ「いだてん」の第39回「懐かしの満州」。
正月から毎週日曜日に放送している「いだてん」は、宮藤官九郎作で中村勘九郎主演というので最初のころは観ていたが、だんだんおもしろくなくなって4、5作目ぐらいから観るのをやめていた。
しかし、今月13日に放送の第39回は、古今亭志ん生と三遊亭円生が2人連れ立って当時日本が支配していた満州(今の中国東北部)に行くという話で、円生を勘九郎の弟の七之助がやるというのでこの回だけ観たくなったが、ちょうどその日はラグビーワールドカップの8強進出をかけた一戦、日本対スコットランド戦と重なるというので、録画しておいた。
志ん生と円生が満州に行く話は、井上ひさし作で「円生と志ん生」という芝居にもなっていて、こまつ座の舞台を観た記憶がある。
太平洋戦争の終戦直前の1947年(昭和20年)夏からその後の2年ほどの間の物語で、舞台は旧満州の大連。2人は慰問と称して中国に渡るが、まもなく敗戦。取り残された2人は落語よろしく“居残り”となって苦難の日々をすごすが、破天荒な志ん生と生真面目な円生の二人三脚で笑いを忘れずに珍道中を繰り広げる。
「いだてん」のこの回も、脳出血を起こして倒れた志ん生(ビートたけし)が一命をとりとめ、戦争中に満州へ兵士たちの慰問興行に行ったときのことを思い出すという話だった。
志ん生役のビートたけしは、まるで志ん生の雰囲気がなくて、ガキっぽいビートたけし丸出しでがっかりなんだが(ただし満州のときは森山未来)、円生役の七之助はまさしく円生が乗り移ったよう。「そうでゲスな」なんてセリフも円生らしく、江戸弁は父親の勘三郎譲り。だけでなく、ときおりみせる顔の表情は父親そっくりだ。
いかにもビートたけしすぎる志ん生だったが、彼のナレーション(「いだてん」全編のナレーションがビートたけし)にはいいものがあった。
たしかこんなことを言っていた。
「ソ連軍が本格的に来てからはひでえもんだったよ。女はみんな連れていかれた。逆らったら自動小銃でパンパンと来る。沖縄で米兵が、もっといやあ、日本人が中国でさんざっぱらやってきたことだがな」
ナントカさんにおもねることなく、自分の目で時代を見つめようとする宮藤官九郎らしさというか、彼の真骨頂がこのセリフにあった。