善福寺公園めぐり

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野田版 桜の森の満開の下

歌舞伎座で上演中の八月納涼歌舞伎第三部「野田版 桜の森の満開の下」を観る。
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もともと劇団夢の遊眠社時代に「贋作 桜の森の満開の下」として1989年に初演した作品を新たに歌舞伎作品に仕上げたもの。坂口安吾の小説「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」をモチーフに、野田が独自に付け加えた「オオアマ」による国盗り物語を絡めた作品だ。

野田が「贋作 桜の森の満開の下」を初演した1989年という年は、1月に昭和天皇が亡くなり、昭和から平成になった年だった。
野田が新たに加えた物語のベースになっているのは壬申の乱。このとき、天智天皇亡きあと皇位継承をめぐって皇族、豪族が2派に分れて争う内乱となり、大海人皇子が即位して天武天皇となった。
天武天皇とおぼしき人物として登場するのが「オオアマ」で、彼は鬼を引き連れ、鬼とともに謀叛をたくらみ、ついには成功する。ところが今度は手のひらを返したように鬼退治というか鬼狩りをはじめ、「オニのみそぎをすましたとき、このクニは清らかとなる」とうそぶく。
鬼という「異端」なものを利用して天下を取ったのに、今度は「純潔」を標榜しようとする。
これに対する異端の仲間の山賊ナマコのセリフがこの芝居のキモのような気がした。

「オニの息吹のかかるところがないと、この世は駄目な気がする」

歌舞伎座の舞台は最後の方で元の作品にいくつかセリフが追加されている気がしたが、ほぼ踏襲されていた。
元の台本ではけっこうダジャレが多く、それが魅力でもあるのだが、今回、爆笑するような場面は少なかった。歌舞伎の舞台となると雰囲気が違うのかもしれない。

配役は耳男・勘九郎、オオアマ・染五郎、夜長姫・七之助、早寝姫・梅枝、ハンニャ・巳之助、エナコ・芝のぶ、マナコ・猿弥、赤名人・亀蔵、エンマ・彌十郎、ヒダの王・扇雀ほか。

坂口安吾の2つの小説「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」をよくも見事に合体させたと感心。特に最後のところは「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」がない交ぜになっていた。

耳男は恋慕の気持ちを抱いた夜長姫を連れて桜の森に逃げる。
あとを追う天武の大王たち、それに鬼の集団。
夜長姫は桜の木の上から、まるで缶蹴りでもするように次々と鬼を発見し、キリキリ舞いしながら死んでいくサマをながめていたが、ついには耳男に胸を刺されて死んでしまう。
夜長姫は自分が死ぬのをとうに知っていたかのように「さよならのあいさつをして、それから殺してくださるものよ」といって、息絶える。
夜長姫の体は降り積もった桜の花びらに埋まってしまい、やがて体は消えて花びらだけが残る。

耳男の勘九郎はとにかく走りまくっていた。夜長姫の七之助の奔放ながら艶っぽい演技が出色。エナコとエナコの3歳の娘の2役の芝のぶと、ハンニャの巳之助の芸のうまさ。染五郎は風邪でもひいて声が出ないのか、やけにマイクの声ばかりした。余計なものを通さない役者の生の声が聞こえるのが歌舞伎のよさなのに。