善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

「6人の容疑者」

ヴィカース・スワループの『6人の容疑者』(上・下、ランダムハウスジャパン)を読む。

おもしろくて一気に読んでしまった。著者はインド人で、現職の外交官。何と現在は在大阪神戸インド総領事として日本に赴任中とか。
これが2冊目の小説で、第1作『ぼくと1ルピーの神様』は『スラムドック$ミリオネア』という題名で映画化され、2009年のアカデミー賞で作品賞をはじめ8部門で受賞した。

第2作が本書で、舞台は現代のインド。
物語は───。
悪名高い若き実業家ヴィッキー・ラーイが、パーティの席で撃ち殺された。容疑者は、パーティ会場に居合わせた6人。元官僚、女優、部族民、泥棒、アメリカ人、そして被害者自身の父親。みなそれぞれに動機があり、それぞれが拳銃を隠し持っていた。事件前の容疑者の人生を遡ることで見えてくる、6人の物語。そして、殺人へとつながる唯一の物語は、いったいどれなのか。

というわけで、6人の容疑者の素性が克明に語られていって、肝心の殺人事件はなかなか起こらない。しかし、バラバラに進行していく感じの6人の物語がなかなかおもしろく、それがやがて1つの点に集まり、終局へと向かっていく。

ミステリーというより、ロマンチックコメディーあり、ファンタジーあり、サスペンスあり、何でもありのごちゃまぜだが、それぞれのエピソードは独立した物語を語っていて、引き込まれる。
自分そっくりの貧しい娘に人生を乗っ取られていく人気女優。
偶然大金を拾ったことで身分違いの恋に落ちていくスラム街の携帯泥棒。
行方しれずとなった古代の石像を追って遠くの島からやって来たオンゲ族の若者。
文通で知り合ったインド女性と結婚すべくやって来たグーグルの創始者と同姓同名のアメリカ青年。
マハトマガンジーにとりつかれてしまった元の州首席事務官。
殺人を犯した息子(ヴィッキー・ラーイ)の尻拭いに追われる州の内務大臣。

インドにやって来たアメリカ青年があっちこっちで騙され続け、ついにはアルカイダに捕まるが、米軍がかけつけて一味をやっつけ、米大統領から感謝状をもらう、というくだりはちょっとばかくさくて、アメリカ映画の見すぎという感じがするが、あとはインド社会がうまく描かれていて、奇想天外ではあっても妙に納得して読んでしまう。貧富の差、カースト差別、政治腐敗、汚職、そして宗教心からくる精神性や連帯感…現代インドのあらゆる要素がつまっていて飽きさせない。

特にオンゲ族の青年エケティと、ボーパール化学工場事故(この事故は実際にあった話)の被害者チャンピーとのエピソードは心に迫って美しくも悲しい。ただし、本書の主人公の1人なのに、彼の運命はあまりにもあっけなくてちょっと納得がいかないが・・・。
あるいは、生まれ変わりの輪廻転生思想が根強いインドでは、現世の命にはそれほどのこだわりがないのだろうか? 

筆者にとってインドは、ほかの国に行く途中に1泊したのを何度か経験しただけでほとんど知らないが、1つだけ印象に残っているのは、ムンバイのホテルのレストランでのこと。遅い朝食をとっていると、皿やナイフ・フォークが置かれたテーブルのわきでボーイが何人かおしゃべりしていた。1人がおもむろにナイフを1本手に取り、自分の靴の裏についた汚れをゴシゴシかき取り出した。終わるとそのまま元に戻して平気でいるのを見て、もうここでメシを食うのはやめようと思ったのだったが、何もそんなことに目くじら立てることはなく、これがインドの当り前の風景なのかもしれない、とも思った。

インドについてある人からこういわれたことが頭にこびりついている。
「一度インドで暮らしたら、きっと病みつきになるよ」
その言葉が恐くてインドを目的とした旅にはまだ一度も行ったことがないが。